赤外線通信6



「阿部! 待って!」
 コンビニの明かりの漏れる方向へ去っていく背中を見て思わず呼び止めたのは、自分の気の小さいせいで今回の一件をこれ以上引き伸ばしたくはないからだった。
 自分から話があると呼び止めておいて、話がし易いようにと場所に気を使ってくれた相手に対して、これではあまりにも酷すぎる。
 栄口は気遣ってこちらを心配そうに見ていたが、思いがけずに彼を呼び止めたものだから、目を丸くして呆気にとられていた。
 無論それは阿部も同じで、まさか沖に再度呼び止められることになるとは思っていなかったのか、立ち止まってこちらを振り向いただけで、言葉が出てこないようだった。
 沖は心の中で自分の頬をぴしゃりと叩くと、今度は真っ直ぐに目線を逸らさず相手に向かって歩き出した。
「ごめん、別に言いたくなかったわけじゃないんだけど……その、お、怒られると思って……」
「……はあ?」
 脈絡のないその出だしに、阿部は意味が分からず首をかしげた。
「ん、あれ? ケンカじゃないの?」
 展開について行けなかったのは偶然にも割り込んでしまった栄口も同じで、少し遅れて沖に追いつくと、阿部と同じように首をかしげる。
「ああ、うん、ちょっと阿部に話があってそれで……」
 出来ればこの場にいて欲しくはないのだけどという言葉は喉の奥底に飲み込むが、栄口は何となく察したらしい。
「長くかかりそうなら先に帰るけど」
「迷惑かけてごめん。でもそうしてくれると嬉しい」
「え、おい」
「じゃあ、あんまり遅くなんないで帰れよー」
 きっと、他の部員たちには上手いこと話して先に帰ってくれるに違いない。
 沖はそう確信して、彼が店の駐車場の方へ姿を消すと、再び呆気にとられている阿部のほうへ向き直った。
「単刀直入に言う」
「?」
「ごめんなさい!!」
 しっかりと、そしてはっきりと、事の発端となったこと、これまでの経緯を含めて謝罪の言葉を口にすると、深々と頭を下げた。
 案の定、突然の謝罪についていけない阿部は、一拍遅れて声を上げた。
「はああ!?」
 この大声にびくついてしまうのはもう仕方のないことだが、沖は負けずに顔を上げるとまた目線を合わせた。
 今日の昼休みの阿部の様子を見て絶対に全部話そうと決心したはずなのに、いざとなったら覚悟が何処かへ逃げてしまって言えなくて自分の弱さを痛感したのだ。
 きっかけはどんなにか些細なことであっても、それが火種となってこうして残ってしまうなら、きちんと話さなければならない。
 逃げては駄目だ。
「あの、実はね……その、携帯のアドレスを……」
「……」
「あ、阿部のアドレスを消してしまったんです! ごめんなさい!」
「……はあ?」
 一気に言い切ってしまってから、阿部の反応が怖くて縋るように見つめていたが、帰ってきたのは予想外にも飽きれを含んでいた。
「いつ?」
「え……っと、先週の半ばくらい」
「お前が西広とうちのクラス来たときになんかぐるぐるしてたのは?」
「い、言わなきゃと思って……言えなくて……」
「なんで?」
「だって、お前、怒るじゃん……」
 淡々と繰り出される質問に素直に答えていくと、阿部は落胆の表情を浮かべて力なく腰を落とした。
 せっかく教えてもらったものを消してしまったことで、怒られるのではないかという沖の予想は見事に外れ、今のこの状況に若干混乱しつつあった。
「あ、れえ? 怒んないの……?」
「オレそこまで短気じゃねえんだけど」
「え、え、じゃあ、あれ? オレ勝手に勘違いして、変に悩んでたってこと!?」
「お前アホじゃねえの? ちゃんと言ってくれりゃ教えるんだけど」
 その言葉に、無意識に感じていた緊張の糸が外れたのか、沖はよろよろと膝を地面につけてため息を吐いた。
「だから返事がなかったわけね……」
「もしかして、メールした?」
「送った、先週お前なんか変だったから。でも返事がこねーからオレに言えないようなことなんだと思って……ああ、変にぐるぐるしちゃったよ」
「……ごめんなさい」
 ホッとしたようなムッとしたような、何とも言えない表情で頭をがしがしと掻く相手を見て、沖は本当に悪いことをしてしまったなあと罪悪感でいっぱいになった。
 初めから変に考え込まずに素直に話していれば良かったのだと、今更気づいても遅い。
 膝を抱えて自分の情けなさに打ちひしがれている沖だったが、阿部がふとあることに思い立ったのか、こちらへ身を乗り出した。
「ん? 思ったんだけどさ、データ全消ししたの?」
「うん、阿部のだけ……操作間違っちゃって」
「なあ、アドレスとかさ、別に今までの履歴とか見りゃ分かるんじゃねえの?」
「……はい?」
「メールだって、中身分かればアドレスは残ってっから別に聞かなくても平気じゃね?」
 盲点だった。
 今の今まで、アドレスを消してしまったらまた教えて貰うしかないと思っていたのだが、よくよく考えてみれば、メールに関しては以前に送り合ったのが残っているわけだから、それを辿ればすぐに分かったはずだ。
 それでなくても番号はきっと教えて貰わなければならなかったろうが、ここまで思いつめる必要はなかった。
「沖って時々天然なんだか馬鹿なんだか分からなくなる時があるよ」
 阿部の呆れた物言いに、今更ながら羞恥がこみ上げてきて抱えた膝の中に顔を埋めた。
 見なくても分かる。きっと阿部はこちらを見て笑っている。
「だ、……けど、良いんだ」
「ん?」
「ちゃんと正直に話すことの大切さが分かったから……」
 だからこそ、今思っていることをきちんと伝えようと思った。
「……」
「オレらあんまりメールしないけど、メールの必要性も分かった」
「必要性?」
「今日の昼休んとき、阿部の機嫌悪そうなの見てたんだ」
「……マジか」
「原因は今思えばオレだったんだろうけど、そんときは分かんなくて。メールが出来ればすぐ聞けるのにって思った」
 頭に柔らかい感触と熱が不意に落ちてきて、そのまま撫でられる。
 自分と同じ豆だらけの硬い手だ。
 少しの間、彼の好きに撫でさせておくが、右手でその手を掴むと頭から外してゆっくり顔を上げた。
「別に、全部が全部話さなきゃなんねえとも限んないじゃん」
「そうだけど、……でも必要なことはちゃんと話す。今回みたいに変にすれ違うのは、やっぱ嫌だ」
 たまのすれ違いも必要なことは分かっている。
 だが、自分の勝手な言い分でそれを引き起こすのはきっと違う。
「なんか、沖さんキャラが違う気が」
「た、たまには良いだろ! でも本当に、オレのせいで振り回してごめん」
 握ったままの阿部の手をもう一度しっかり握りなおすと、沖はくいっとそれを自分の方へ引っ張る。
 弾みでバランスを崩して倒れこんできたその顔を左手で包むと、そっと唇を寄せた。



 なんだか粗が見えるような……。次で終わりになります。


2010.3
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