|
赤外線通信4 ―別になくても困らないんじゃないかな? そう楽観的に考えられるようになったのは、阿部の連絡先を全消ししてしまうという失態をやらかしてしまって1週間程経ってからのことだった。 もともと電話もメールも頻繁な方ではないのと、メールを送りあうのに週を跨ぐことも珍しいことではなかったから、沖はこの間までの焦りが嘘のようにすっきりとした一日を送っていた。 どうしても必要になった時は篠岡辺りに聞けば、怒られるという事情を察してこっそり教えてくれるだろうし、それまでは気にせずにいようという考えに至ったのだった。 話をするくらいなら、学校内でだって出来る。 もしバレてしまったら、それはその時に考えればいい。 要は色々なことをぐだぐだ考え抜いた挙句、思考が未知の領域へ突き抜けてしまった感じなのだが、沖自身は全く気付いていない。 「おはよう!」 さっそく西浦の正門少し手前でゆっくり自転車を押している阿部を見つけ、沖は軽くペダルを漕ぐ勢いをつけながら声をかけた。キキっとブレーキの音がなると同時に立ち止まった阿部がこちらを振り向き、声の主を確認するとほんの少し目を見開いた。 「……はよ」 相変わらず無愛想な返事しか返っては来ない。 だがもうそれは慣れっこだ。 「なんか珍しいね」 「何が?」 「朝っぱらから自転車押して歩いてるとか、あんまり見ない気がする」 「別にどうもしねえけど……」 「うん?」 返事に張り合いがなく、更に目線を会わせようとしない阿部とは会話が続かない。 沖は、自転車にまたがったまま隣りに来ても同じように漕ぎ出す気配がない相手を見て、どちらにしろ目的地は一緒で特に待っている必要性も感じなかったので、先に行ってしまおうとペダルに足をかける。 それを見た阿部は一瞬引き止めようと手を伸ばしかけるが、すぐに引っ込めてしまう。 その仕草に、当然沖は気付くわけもなかった。 「じゃ、お先っ」 「あ……」 何日か前とはまるで別人だ。 阿部はそう思った。 この間はどこか上の空でなにか言いたいことを言えないような表情をしていたのに、今日はもう清々しい笑顔を見せている。それに、自分のことを名前で呼びかけたのに、それすら全く気にしていないとでも言いたげで、そこが何となく面白くない。 面白くないのはそれだけじゃない。 こうくるくると気分が変わるのには何か原因があるはずなのに、それを自分に全く相談してくれないということだ。 実はあまりにも気になったので、滅多に沖には送らないメールを久しぶりに送信してみたのだが、返事が返ってこなかった。最初は届かなかったのかと思いもう一度、二度送ったのだが、そのすべてに返事が返ってくることはなかった。 阿部には話せないようなことなのかもしれないが、結局、自分は沖にとってそれだけの存在でしかないのだろうか。 「わけ分かんね」 もっとも、名前を呼びかけたことも何かで悩んでいることも、それは阿部自身の勘違いの可能性も捨て切れてはいないと、思考を振り払うかのようにかぶりを振った。 沖が7組へ西広と共に訪れた際、阿部の下の名前を呼びそうになったのは勘違いでもなく事実なのだが、結局、未開の地へ思考が到達した時に全部忘れてしまっていた。 もう必要ないと連絡網も机の引き出しに閉まったし、携帯を手にとってはため息をつくもなくなったし、夜もぐっすりと眠れるようになった。 練習にも授業にも集中出来る状態になったことが、今一番楽しくて仕方がなかった。 「なーんか変だね」 「え、何が?」 いつもの昼食の終わり、空になった弁当をしまいながら唐突に西広は言った。 それに沖は反射的に返事を返したが、相手は自分に向けて言葉を発したようではなく、窓の外を見ている。 その視線に釣られて外を見ると、次の授業は体育でもあるのか数人の生徒がジャージ姿でグラウンドへ出て行くところだった。 「あ、7組」 生徒たちに混じって見慣れた頭が3つ歩いている。 無意識のうちに沖の視線は阿部の後姿を探していた。黒いつんつん頭が茶色の頭に後ろから蹴りを入れている。大方、水谷が何か阿部の気に入らないことをしてどつかれたのだろう。 相変わらずだなあと思って、周りに気づかれないように苦笑した。 「阿部がさ」 「う、え!?」 「なに?」 「ううん、なんでもない。阿部がどしたの?」 思わずおかしな声が出てしまったのは、西広に自分の心が見透かされてしまったのかと思ったからだ。 不思議そうな表情でこちらを見る彼に小さく手を振り、言いかけた話の先を促す。だが、別に沖の様子を気にしたようではなかった。 「八つ当たり、してるみたい」 「え?」 「さっきから、水谷が標的になってんの。何にイライラしてんのか知らないけどさ、ちょっとあれ可哀想だよ」 「……機嫌悪いのかな」 西広より後から見たから気づかなかったのだが、確かにもう一度外を見てみると、水谷に対しての態度がいつもよりそっけない。 それは、花井が阿部をたしなめているような様子からも良く分かった。 「すぐに腹の虫が収まれば良いんだけどねえ」 「……」 西広はそういって、トイレに行くからと椅子を戻して教室を出て行った。それを見送って、沖はまた窓の外へ視線を戻した。 よくよく考えてみれば、朝から変だったとは思う。 返事もそっけないし目線も合わせようとはしなかったし、何より珍しく自転車を押して歩いていた。 もうあの時から始まっていたに違いない。きっと何か考えることがあって、答えが見つからずイライラしているのなら、今日は一日機嫌が悪いのだろう。 「こんな時……」 メールを送ることが出来れば、何があったのかすぐ聞けるのに。 きっと阿部は、直接尋ねられるのが嫌だろうから、顔の見えない連絡手段が一番なのだ。それに、文字が相手なら感情的になって、火に油を注ぐこともない。 先ほどまで、別に必要ないんじゃないかと思っていた気持ちが冷めていく。 「……」 やっぱり本当のことを言おう。 怒られても良いから、正直に話してアドレスをもう一度教えてもらおう。 教室の喧騒に混じって聞こえる予鈴を聞きながら、沖はぼんやりとそう考えた。 微妙な擦れ違い。 阿部は沖に対して、三橋へほどメールを送らないような気がします。 2010.1 |