言葉の魔法


「そういえば、今日誕生日だったよね」
 朝の練習を終えて、ベンチ裏で着替えや片づけを進めていると、西広の思い出したかのような質問を聞いて、沖はふと今日が7月20日であることを思い出した。
「え? んー、そうだったかも」
「なんだよそれー」
 別に自分の誕生日を忘れていたわけではない。
 きちんと覚えていたし、家族にも朝、祝ってもらえて中学の友人からはメールが来たりもした。
 ただ、高校生になれば女子と違って男子というものは、そういうお祝い事などあまり重要視しないだけであり、時々思い出したように祝福してもらえるだけだ。
 1年生の春に三橋の誕生会を開いて以来、この野球部の部員のことを大々的に祝ったことなどない。篠岡の作ってくれるおにぎりの中身が、少し豪華になっているくらいだと思う。
 だから、西広に誕生日のことを言われて返した言葉も、いつも通りなのだった。
「あー、そっか沖は今日誕生日だったかあ。おめでと」
「大体いっつも、夏休みに入るか入んないかくらいだもんね」
「うん。宿題がいつも学校からのプレゼントだから」
「わあ、最悪」
 二人の会話を聞きつけて、他の部員達がわらわらと集まってくる。
 野球部員の誕生日はいつもこんな風に誰かのそういえば、から始まり、昼休みや部活帰りのコンビニで何かを奢ってもらうというのか常だ。
 ただ、沖の場合はいつも終業式の日なので、昼の購買がないために昼食時に何か貰えるということは少なく、帰りのコンビニでも忘れられてしまうことがある。
 それでもほぼ冬休み中の水谷に比べればマシなのかもしれないが、沖はこうして、おめでとうと言ってもらえるだけで満足なのだった。
「ケーキとか食べんの?」
「それは分かんないけど、誰かが買ってきてればね」
「今日オレ、沖んち行こうかなあ」
「お前の狙いはケーキだろ」
 瞳をキラキラさせて身を乗り出した田島の襟首を泉が引っ張る。指摘が図星であったらしい田島は、それを押し隠すことなくニッと満面の笑みになった。
「来ても良いけど……あるとは限らないし、それに宿題もやるからね」
「んもー! 西広みたいなこと言うなよー」
「同じクラスやって性格うつったかも?」
「かも?」
 意地悪く返してやると西広も空気を読んで悪乗りしてくる。つまらなそうに、でも楽しそうに口を尖らせ、泉に襟首を掴まれたまま引きずられていく彼を見て二人笑う。
 けらけらと笑っていると、西広が荷物を持ってこちらに向き直った。  既に準備は全て整っていて、皆にお祝いの言葉を掛けられ、それに一々反応していた沖は当然のごとく着替えが終わらない。
 慌ててアンダーを脱ぎ始める沖を、西広は面白そうに見ていた。
「浮かれてる」
「……そんなことない」
 否定はしたけれど、あながち間違ってもいないと思った。
 あまり誕生日というものを気にしなくなったとはいえ、やはりそれを祝ってもらえるのは照れくさくもあるが、素直に嬉しいことだ。
 プレゼントを貰うのも嬉しいけれど、言葉はなにものにも変えがたいものがある。
 シャツのボタンに手をかけた沖は、ふと近くに影が動くのに気がついた。
 ずっと無言で賑やかな和に加わらなかった阿部がさり気なく近づき、沖の右肩に手を置くとそっと耳元で囁く。
「おめでと」
「っ、……う、あ……りがと」
 囁かれた言葉に体が震え、やっと搾り出した言葉と共に振り向くと、既に阿部は日差しの中を歩いていた。
 何かを特別に欲しかったわけでもないし、沖自身、自分の誕生日などそこまで気にしてもいなかったので、なんの期待もしてはいなかったけれど、これはかなりの衝撃だった。
 そりゃあ、知らない振りされるよりは嬉しいけども。
「こういうの、反則って言うんじゃないの?」
「ん? なんか言った?」
「や、なんでもない……」
 熱い頬を冷まそうと両手でぴしゃりと叩き、そしてそのまま手のひらを耳へ持っていく。耳を塞いで目を閉じれば、阿部の囁き声が何度でもよみがえる気がしたのだ。
――おめでと
 何度も、何度も、低い良く通る声で呟かれたその言葉を、耳の奥で反芻させる。
 心臓の音がどんどん大きくなって、西広の、沖を急かす言葉が聞こえてこないくらいに、とても幸せだった。



やっぱりほんのり阿沖でお祝いしたかったので。
男子高校生ってさらりとお祝いしそうだなと思いました。学年は上がっている設定です。


2011.7


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