君と創る未来5



 1時限目から5時限目までの授業をいつものようにこなし、荷物をまとめると他の友人の誘いを断って足早に教室を後にする。
 高校と違い、空調設備の整った空間での授業はなかなかに快適で、阿部は特にストレスを感じることもなく夏の日を過ごしていた。あまりに快適過ぎて時折眠くなってしまうこともあるが、今のところは何とかしのげている。
 だが、やはり夏に入りたての日差しは強く、建物の入口から出ると一瞬その暑さにたじろいで空を見上げた。
「……あっちぃ」
 駅に向かう歩道の途中で、幾人かの見慣れたユニフォームを着た学生とすれ違う。皆真っ黒に日焼けしていて、身に着けているものは泥で汚れている。
 すれ違い様に立ち止まり、振り返りながらその後姿を目で追ってしまう。
 阿部自身も去年までは彼らと同じだった。
 だが、立ち止まったまま自分の腕を見比べてみると、明らかに去年より肌が白い。
「……」
 あの頃はいつまで野球を続けるとか、決めてはいなかったと思う。
 ただ、進学先の学校には大学のような部もサークルもなかっただけで、野球をやめてしまうことに対して特に不満も感じなかった。
「もうすぐ夏大始まるんだな」
 そう小さく呟くとまたくるりと向き直り、駅へ向かって歩き出した。
 駅前の通りは時間帯によって人は疎らだが、まだ夏休み前ということもあってか、学生服姿が目立つ。
 いつもなら真っ直ぐ改札を抜けてホームへ向かうのだが、今日は別の目的があって、阿部は駅の入口をくぐると歩き慣れた方向とは別の方向へ足を向ける。
 行き交う人混みを縫って阿部の向かう先は駅ビルだ。
 普段は駅ビルを利用すると言ったら買い物ではなく、中の連絡通路が目的であることが殆どだ。というのも、自分が買い物をする店は高校時代までに大体決まってしまっており、わざわざ新規開拓をするという気も起こらないためだ。
「どこに何があるのかさっぱり分かんねー……」
 自動ドアを抜けた阿部はすぐにその場に立ち尽くし、いつも行き慣れた場所と配置の違う光景を眺めてため息をつく。
 阿部の目的とは、誕生日の近い沖のために何かを買うこと。
 最後に会って以来、連絡を取るタイミングを逃してしまった阿部にとって、誕生日に何かを渡すことをきっかけにしたいのだ。
 今まで、お互いに誕生日なんて祝ったことなどなかったので、正直なところ何を選べば良いのか分からない。沖のためとはいえ、この中から目当てのものを探し出すといった行程を思い浮かべると早速心が挫けそうになる。
 だけど、そうも言ってられない。
 阿部は腕を組んで首をぐるりと一周させると足を一歩踏み出そうとしたのだが。
「あれ、阿部じゃん」
 聞き慣れた声に突然肩を叩かれ、思わず踏み出した一歩が大股になってバランスを崩しよろけそうになる。
「……水谷」
 だがそれも気付かれない程度のものだったので、阿部は何事もなかったかのようにゆっくりと声の主の方を振り返った。
 高校時代、教室で部室でコンビニで、嫌というほど聞き続けた声だったので予想は付いていたのだが、やはりというかなんと言うのか、ふにゃけた笑い顔がこちらを見ていた。
「やっぱ阿部だー! 久しぶりじゃん!」
「急に声かけんなよ」
「何で? だってじゃなかったら、今から呼ぶよってメールでもすりゃ良かったの?」
「んでお前はそう極端なの……」
 卒業以来、水谷とは会った記憶がない。
 まだ数ヶ月しか経ってはいないが、かつてのクラスメイトでありチームメイトの彼は、何一つ変わってはいないようだった。
「お前変わんねえな」
「そんな、まだ変わるどころじゃないだろ。あ、花井とか巣山の髪が伸びましたってんなら分かるけど」
「そりゃ想像もつかねえな……見たら色々立ち直れなさそうだけど」
 他愛もない話をして、水谷の茶色のふわふわ頭が柔らかく揺れる。
 確か、彼は県内でも少し離れた大学に進学したはずで、寮生活をすると聞いたような気がする。
「そういや、お前、なんでここにいんの?」
「ん、ちょっと用事があってね」
「ふーん」
 阿部の質問に水谷は表情を変えることなく答えるが、その言葉の裏にあまり触れて欲しくはないような空気を感じる。長いこと一緒にいたせいか、野球部のチームメイトであればある程度些細な変化に気付ける自信はあった。
 水谷は割りと天然で空回り気質なところがあって、本人の思ってもみないところで墓穴を掘ることが良くあるのだが、たまに本当に触れて欲しくないことに関しては隠すのが上手い。
 まあ、空気でそれが分かってしまうのなら上手くも何ともないのだろうが、言葉でさらりとその流れを変えてしまう。
「そういやさあ、花井からメール来たの見た?」
「メール?」
 今回も阿部がそんなことを考えているうちに新しい話題を持ち出し、話の矛先を変えてしまった。
 気にはなりつつも、どうせろくな事ではないと思うので、水谷の誘導に乗ることにした。
「全員に一斉送信で来てるはずなんだけど」
「最近、あんま携帯使ってなかったからな……」
 そう言いながらバッグの外ポケットをごそごそ漁って携帯を取り出す。
「ええ? それちょっと問題だろ。阿部……友達出来た?」
「うるせえな、友達くらい出来たっつの、合コンだって行ったつの」
 沖からの連絡ばかりに気を取られていたからか、着信の表示を見て目当ての名前でなければ見ずにさっさと放り出すを繰り返していたので気付かなかった。
 ぱちんと携帯を開きながら、阿部は少しだけ花井に対して申し訳ないような気持ちになった。
「……阿部が合コン〜!? 行った夢を見たの間違いじゃないの!?」
「水谷……、ほんと捻り潰してやろうか?」
「もう、冗談通じないんだから」
「テメェのは冗談でも度が過ぎんだよ!」
 阿部が思わず怒鳴っても、水谷はただへらへら笑っているだけだ。こういうところも変わっていなくて、阿部はどうしてかホッとしてしまっていた。
「……試合、みんなで見に行くのか?」
「うん、4回戦まで進んだらね。そうすれば、みんな夏休みに入るし集まりやすいだろ?」
「……」
「それに、初戦からオレらが見に行ったんじゃ、あいつらだって余裕ないのに掻き乱しても仕方ないもんね」
「まあな」
「練習も見に行けてないからなー。あいつらどんなんなってんのか、ちょっと楽しみ」
 部活を引退した後は、それぞれ空いた時間に練習を見に行って後輩の相談に乗ったり、時々一緒に動いて汗を流したりもした。
 だが、卒業後は少なくとも阿部は自分の生活が忙しくて、とてもじゃないが練習を見に行くなんてことは出来なかった。それはきっとみんな同じで、特に地元を離れた者達はこちらに戻ってくることすらままならなかったに違いない。
「でも、卒業したオレらが練習見に行ったところで、3年は良い気はしなかったろうけど」
「なんで?」
「そりゃそうじゃん、誰だって自分のことは自分でやりたいだろ? オレ達のやり方があったみたいに、もうあいつらのやり方ってもんがあんだよ」
「……ねえ、阿部ほんとに大丈夫? なんか、悟り開いたみたいになってますけど」
 達観したかのように喋る阿部に不安になったのか、水谷は怪訝そうな表情でこちらを見る。
「お前が前進してないだけなんじゃねえの?」
「あ、ひどい!」
 高校時代、幾度となくしたやり取りに懐かしさを感じていると、ふと阿部は花井からのメールを思い出した。
 後輩の試合を観戦しに全員が集まるのなら、よほどの事がない限り沖も来るはずだ。
 4回戦に進んだとして、日程は彼の誕生日を越してしまう。けれど、わざわざ今までまともに祝ったことのない誕生日を名目にしたところで不自然なだけであって、試合の観戦なら他の奴らもいるけれど、そちらの方がより自然に会うことが出来る。
 後輩の大事な試合をきっかけにしてしまうことに罪悪感は感じるが、仕方がないと、阿部は目を瞑ることにした。
 そうと決まればこの駅ビルには何の用もなく、阿部は目の前にいる元チームメイトに帰ることを告げようと向き直る。
「……会いたいよな、後輩には悪いけど」
 小さく呟かれた水谷の言葉に、心を読まれたのかと思わず心臓がどくんと鳴る。
 動揺を隠すように携帯をぎゅっと握って彼を見ると、無意識に紡がれた言葉であったらしく、きょとんとした表情でこちらを見返された。
 確か、水谷には好きな人がいて、それは野球部の――。
「そういや、阿部は彼女とか出来たりした?」
「は? そんなのいないけど」
「何だよ、合コン行ったんでしょ?」
「行ったけど、すげえめんどくせーから途中で帰った」
「どうしてお前はそういう勿体無いことを……」
 そんなんだから彼女が出来ないんだよ!
 そう哀れんだようにこちらを指差す水谷を見て、もう、一人ここに置き去りにしてさっさと帰ろうかと阿部は思った。
 結局、その年の4回戦に西浦高校は進んだけれど、沖は観戦には現れなかった。



 誕生日は、「あ、今日だっけ?」「おめでとー」くらいで済んでしまってたような気がします。
 あとはあっても、昼間や帰りに何かを奢る程度。そんな妄想が前提にあります……。


2010.8
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