君と創る未来4



 見上げる空がまた少し高くなって、長袖のシャツ1枚では肌寒くてバッグの中からセーターを引っ張り出す。
 校内の駐輪場で荷物を自転車のカゴヘ置き、周囲の生徒へぶつからないように襟首から顔を出すと、いつの間に来たのか目の前に沖が立っていてこちらを見ていた。
「わっ、なに?」
「一緒に帰ろうかと思って」
 見ると、既に帰りの支度は出来たらしく、自転車に跨っている。
 別に一緒に帰ることなど珍しくはない。だが、阿部が気になったのは、その右手にある物だ。
 カゴヘ入れたバッグの他に最近持ち歩いている、少し小さめの青いトートバッグをぶら下げている。
 持ち手が腕に食い込んで、見るからに重そうなのが分かる。その中には、受験勉強の為の参考書やら辞書やらが入っているのだ。
「予備校は?」
 阿部がそう尋ねたのは、その勉強用のトートバッグが膨らんで重そうなときは決まって、予備校に通う日だからである。
「今日は休みなんだけど……」
「だってその荷物」
「ああ、これ? 昨日テストやったんだけど分かんなくってさあ、西広に聞こうと思ってそのまま持ってきた」
「ふーん」
 自分に見せるために腕を持ち上げるが、その重さに耐えられずふるふると震えている。
「重そう」
「そりゃあ、いっぱいあるもん」
 沖は持ち上げていた腕を下げてハンドルを握りなおした。
 専門学校進学組の阿部はそこまでの勉強は必要ではないので、大学受験組の苦労はいまいち分からずにいる。
 自転車のカゴに入れたバッグを背負って、それを入れれば幾分か楽なのにとも思うが、最近はあまり些細なことは指摘しないようにしてる。ある程度妥協した結果だ。
「それは良いとして、そろそろオレの予備校の予定くらい覚えてよ」
「あー……」
 始まった。
 阿部は自転車の鍵を外しながら心の中で呟く。
「なんだよ、野球のことなら覚えられるくせに」
「関係ないと思うけど」
「関係あるよ。今だってさっさと帰ろうとしたじゃん」
 沖の棘のある言葉を適当に聞き流しながら、阿部はスタンドを上げて自転車を押し、駐輪場から出る。
 時間帯的にまだまだ人が多いので、その間を縫って門のところまで来ると、跨って漕ぎ出すことはせずそのまま歩き続けた。
 いつもならそのまま漕いで帰ってしまうのだが、今の沖の前でそれをやると拗ねて口を聞かなくなるということを学習したので、それを守っているだけだ。
 と言うのも本格的に受験勉強を始めてから、上手く進まないのか時々彼には珍しく攻撃的になることが出てきたのだ。
 攻撃と言っても、こちらをなじったり軽く非難したり口調を強めたりと可愛いものなのだけど。
 些細なことを指摘しないのもそれが理由なのだが、それはそれで思ったことをすぐに口にしてしまう阿部にとってストレスはもちろん溜まる。なので、いくら妥協したとはいえ、たまにこちらも我慢が出来ずぶちまけてしまうこともある。
 決まって後悔はするのだけど、言いたいことをきちんと言い合えない今の状態がどこかおかしいことくらい、さすがに阿部でもうすうす感じてはいた。
 そして頭に浮かんでくるのは、『受験ノイローゼ』と言う言葉。
「……ってかさ、さっきから何イライラしてんの?」
「別に、してない……けど」
「勉強、上手くいってないとかそういう系?」
「……」
 図星なのかどうか、沖の口から返事が返ってこなくなってしまった。
 夏大が終わって部活動を引退してからは、周りは徐々に受験色に染まりつつあり、沖もその中の一人だ。
 予備校に通いだしてからは部活とは違う荷物が増えていき、自宅にあったエコバッグだという青いトートバッグも沖の持ち物として定着しつつある。
 使用する参考書の量によっては、いつか持ち手が外れてしまうのではないかとひやひやしてしまう。
「……」
 隣りに並んで歩いていたはずの沖が少し送れ、カシャンという金属の音がして、ふと後ろを振り返ったときにはもう歩くのを止めていた。
 見れば自転車から降りて、スタンドを立ててこちらを見ている。
「沖?」
 名前を呼んでもただ黙ってこちらを見ているので、仕方なく自転車のハンドルを半回転させると来た道を戻る。
 ゆっくりと阿部が自分の前に来て止まったところで、沖はようやく口を開いた。
「阿部はさ、どうして待っててくれないの?」
「はあ?」
「一人だけずるい」
「え、ちょっと待って、何でそうなるわけ?」
「なんか、なんか、さあ、置いてかれてるみたいで焦っちゃうんだよ」
 唐突に始まった自分を非難する声に、阿部は思考がついていかず混乱する
 待っているとか置いていかれるとか、ここ暫くは誰ともそういう話をしたことがなかったし、無論、沖とだってしたことはない。
 それが何故、今出てくるのか、阿部にはさっぱり分からない。
「意味分かんねえし。誰が誰を置いてどこに行くんだっつの」
「そんなの知らないよ」
 そう言って沖は突然抱きついてきたので、反射的にその身体を支えようと手を離してしまい、片手で持った自転車のハンドルがぐらついた。
 残った手と両足でバランスを崩さないよう必死で踏ん張ると、阿部はハッとして慌てて周囲を見渡した。
 人通りの少ないところとはいえ、いつ誰がやってくるとも知れない中で、今のこの状態は非常に良くない。
 阿部はその肩に手を置くと、そっと引き離した。少しは抵抗されるんじゃないのかなと思ったがそんなことはなく、案外あっさりと自分の誘導に従ってしまった。
 受験ノイローゼなんて、耳にしたことはあったけれど実際本当に起きるものなのか、半信半疑だった。
 夏大の始まる頃、沖が話していたことを思い出す。
 ――正直、将来の夢なんて良く分かんなくってさ……どれから手を付けりゃ良いのって思っちゃうんだよね
 もしかしたら、今の沖は目標が定まらないままに勉強を続けて前を見失っているのではないだろうか。
「沖、お前ちょっと休め」
「え……」
「勉強ってのは、何でも詰め込みゃ良いってもんでもねーの。まずは一週間でも良いから目標立ててスケジュール表作れ」
「……」
「あれもこれもじゃ、お前、期末の前にパンクすっぞ」
 どこか納得のいかないような表情をしていたが、一瞬だけ垣間見えたそれはすぐに消えてしまい、沖はいつもの穏やかな表情を浮かべると、ありがとうと小さく笑った。
 確かに引っかかるところはあった。
 西広と仲が良く、たまに勉強を見てもらっているのなら、彼が沖の不安定さに気付かないはずがない。それが勉強疲れから来ているものなら尚更で、予定表を作るなり何かしらアドバイスをするはずなのだ。
 だが、沖との会話からはそれが全く見えてこなかった。
 ふらふらと自転車を押して先に歩を進め始めた後姿が、何かを抱えているようにも見える。
 それでも、阿部は先ほど沖の見せた笑い顔に安堵してそれ以上考えようとはせず、自分ものろのろと自転車を押し始めると少しだけ速度を上げ、彼の隣りに並んだ。



 理解したつもりで分かり合えていない二人です。
 結局、以心伝心なんて夢のまた夢なのだと思うのです。


2010.5
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