秘密


 大学へ進学し、親元を離れて2年目の春。
 西広は春休みをのんびり地元で過ごすべく、埼玉の地に足を踏み入れた。
 とは言っても冬休みは実家で過ごしていたし、年の離れた妹の顔が見たいのもあって休みを利用しては頻繁に戻ってきていたので、特別に感じるものなど何もない。
 今の時代、公共交通機関を使ってしまえば埼玉と東京なんてあっという間だ。
 バスに乗り換えるため駅のロータリーへ出たところで、時間もたっぷりあるので何か手土産でも買って帰ろうかと、西広は駅ビルのほうへ踵を返す。
「……あ」
 その時だった。
 西広の見知った顔が、やはり同じようにこちらを向いて誰であったか思い出すような仕草をし、一瞬のちに破顔したのは。
「西広くん?」
「おばさん! お久しぶりです」
 “おばさん”なんて言ったら失礼かなと思ったりもしたが、高校生の頃からの呼び方でもあったので相手はさして気にした風でもなくにこにこしながら歩み寄ってきた。
 優しそうな笑顔の似合う小柄な女性――高校時代の親友、沖の母親だった。
「こっちに帰ってきていたの?」
「はい……といっても、ちょくちょく帰ってきてましたけど」
「カズったら遊びに行くばっかりで、うちには呼んでくれないんだもの」
「あははっ。逆ですよ、むしろこっちに来てもらってるんです」
 高校生の頃はお互いの家を行ったり来たりしていたが、大学へ進学して西広が自宅を出ると、自宅通学をしていた沖が尋ねてくることが多くなった。自分は運良く寮に入ることが出来たので、専ら帰省時に向こうが西広家へ遊びに来るといった感じではあるが。
「それに、うちの妹も一利くんが来るの楽しみにしていますから」
 これは本当のことだ。兄以外の身近な大人の男性が沖なので、随分と懐いている。子どものことは好きなのか、面倒見が良くて一緒に本を読んだりゲームをしたり、いつかそれが――特に妹の方が恋に変わってしまったら困るという兄の本音も見え隠れするのだけど。
「そう言えば……、一利くん一人暮らし始めるそうですね」
 このまま話を続けたら、今日にでも遊びにいらっしゃいといった流れになってしまいそうで、西広はさり気なく話題を変えた。
 県内の大学へ進学した沖は、まず一年は自宅から通学してその後、家を出る予定なのだと以前から話してはいたが、いよいよそれが現実になるという話を本人から聞いたのだ。
「ええ、そうなの。大学の寮に入れればと思っていたんだけど、空きが取れなくてね」
「あーそっか、寮だと管理付だから人気があって、抽選のとこもあるって聞いたな」
「別に家から通ったっていいって言ったの。だけど聞かなくて……自立する良い機会とは思うけど、親としては心配なところもあるでしょう?」
「オレも最初はそんな感じでしたよ。でもそのうちお互い慣れました。出してみれば、案外すんなり行くんじゃないですか?」
「そんなものかしら」
「そんなもんですよ!」
 そう言ってわざとらしく口端を上げて見せると、つられて沖の母親も楽しそうに笑った。
「引越しは終わったんですか?」
「ええ。お友達がわざわざ車出してくれて、二人で楽しそうに行ったり来たりしてるわよ」
「……大学の?」
 てっきり引越し業者に頼んだと思っていたので、友人と自力でというのが意外で思わず聞き返す。沖の周りにそんな人間なんていただろうか、いや、大学で出来た友人なのかもしれない。そう思っていたのだが、母の発した言葉に驚くことになる。
「あら、西広くんも良く知ってる子よ。野球部で一緒だった阿部くん」
「え?」
 初めは聞き間違いでもしたのだろうかと思った。
「え、阿部?」
「そう、阿部くん」
 しかし再度聞きなおしても、やはり阿部と言う。
「迷惑じゃないの?って聞いたんだけど、どうせ暇だからって。まあ、こっちとして凄くありがたいんだけどね」
 確かに、卒業してから阿部が運転免許を取得した話は聞いている。父親の家業から、自宅に荷物の運搬に優れた車を所有していることも知っている。だからといって、沖の引越し作業を阿部が手伝っているという話は俄かに信じ難い。
 二人は高校時代、友人と呼べるほどの付き合いをしていないことを西広自身が知っているからだ。
 あの頃、沖と西広はお互いが一番の親友であって、阿部はチームメイトの一人に過ぎず、野球以外のことを話している姿を見かけたことはなかった。二人はバッテリーを組んでいたけど、阿部にとっての投手は三橋であり、沖はどちらかというと野手の面々と共に行動することが多かったのだ。
「……仲、良いんですね」
「野球部の中では、西広くんの次に仲良いんじゃないかしら。たまに遊びに来ていたから」
「そうなんだ……」
 当たり前のように話をするけれど、西広にとっては全てが初めて知ることばかりで言葉を返す気力を失っていく。阿部と仲が良いなんてこと、沖から聞いたことは当然あるわけもない。本当にそうなら同じチームメイト同士隠すことなく、堂々としていれば良いのだ。三橋への配慮?――そんなの、必要なわけがどこにある。
「本当、カズはお友達に恵まれて幸せだと思うわ」
 沖の母親は、何の疑問も抱かない柔らかい笑顔を浮かべている。本来なら、その言葉はとても胸に染みるものであるはずなのに、今の自分の心には何も入ってこない。
「今度また、うちにも遊びに来てね」
「……はい!」
 西広の返事を聞くと、嬉しそうに手を振って去っていく。
 その光景を眺めながら、心の奥底から湧き上がる恐ろしい考えを必死になって掻き消す。だが、一度湧き上がってしまったそれを消すのは、容易ではない。
 沖に自分以外の友人が複数いたって不思議ではない。実際、部活動以外でもそんな人間はたくさんいたし、遊びにだって行っていた。親友だと思って過ごしてきた日々は確かに本物だ。なのに、そう簡単に受け流すことが出来ないのは、何故その親友にも隠さなければならなかったのかということなのだ。
 もし沖の前で阿部の話を持ち出したとしても、きっと上手くかわされてしまうだろう。
 あの二人の間にあるものが普通の人間関係以上のものであると、西広はぼんやりと考えながら立ち尽くした。



2013.10

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