ニアミス



「何これ可愛い!」
 練習の準備をするために部室の扉を開けようとした沖の手は、不意に中から聞こえてきた水谷の声に一瞬何事かと止まってしまう。
 後ろを歩いていた西広にもその声は聞こえたらしく、二人は部室の扉を半開きにしたまま顔を見合わせた。
「?」
 とりあえず中に入ってみないと分からないので、再び手を動かして中の様子を見ると、何人かが狭い3畳ほどの空間に固まって何かをしている。
 男数人が狭い部室の中に身を寄せて固まっている光景など、むさ苦しい以外の何物でもなく、沖と西広は再び顔を見合わせると、今度は軽く眉間に皺を寄せた。
 近くに歩み寄って初めて、何かアルバムのようなものを眺めていることが分かるが、皆それを見てわいわい騒ぐのに夢中で、二人が来たことに誰も気づいてはいないようだった。
「なにやってんの?」
 背後から声を掛けられてようやく、一番入口の近くにいた巣山が振り返る。
 その顔は気持ち悪いくらいに口元が歪み、何か笑いを必死に堪えているような表情でいたので、思わず沖はぎょっとして後ろへ数歩ずり下がった。
「……巣山だよね?」
 驚いたのは西広も同じだったようで、良く分からない質問を投げかけている。
「お前アタマ大丈夫か?」
 いやお前の顔の方が大丈夫か、だよ!
 そう心の中で突っ込みながら、沖はもう一度、輪の中へ歩み寄った。
「……写真?」
 輪の中心で栄口が手にしていたのは、小さなアルバムだ。
 少し古い写真が入っていて、遠目から見てもすぐに分かったが、どうやらリトルの頃の練習風景を撮影したもののようだった。
 肩に重みを感じて顔を上げると、見づらいのか、西広が沖の肩に手をかけて背後から覗き込んでいる。
 入れば? と、少し隣りへ詰めて促すが、ここで良いと西広はやんわりと笑った。
「珍しいね、写真なんて持ってくんの」
「やーたまたまね、昔の写真整理したら親が撮ったのが出てきたんだけど」
「もちろん、ガキの頃の栄口もおもしれーんだけどさ」
 栄口の話を遮ってかなり失礼なことを口にした花井は、程なく足を押さえてその場に蹲る。
 だが可哀想に誰一人として気遣う者はいない。
 悶える花井を他所に、水谷は状況を理解していない二人の横へ来ると、巣山とは違って笑いを隠そうとはしない表情のまま話の先を促した。
「もっと面白いのが写ってたんだよねー」
「面白い?」
「ここのさ、あ、これはオレなんだけど、オレの後ろにいる集団に注目してみて」
「え、どれ?」
「このバットケース持ってんのが栄口?」
「……の、後ろ?」
 栄口の持っている角度では窓からの光にアルバムポケットが反射して良く見えず、何度か見る位置を変え、指を差してもらいながらようやく皆が言いたい場所が分かる。
 だが、ただ見ただけでは何のことはない、少年野球のチームの写真だ。
 彼自身とはおそらく別のチームなのだと思う。栄口がチームメイトとピースをしながら写っているのに対し、背後の子供たちは練習試合の途中なのか、泥にまみれたユニフォームを着て監督と思われる大人の周りに群がっていた。
 これのどこがそんなに面白いのだろう。
 理解が出来ずに、沖と西広はまたまた顔を見合わせてしまった。
「これな、良く見ないと分かんねえんだよ」
 ようやく笑いの虫が治まったのか、いつも通りの表情に戻った巣山が、ここ良く見てみ?と写真を指差しながら説明をしてくれる。
 その手元を二人はまじまじと眺めた。
「……ん、あれ?」
「うわあ、これって……もしかして」
 数人の監督を囲む少年たちの中に、一人、とても目立つ男の子が写っている。
 ちょうど立ち位置が良かったのか正面を向いていて、じっくり見るとその顔が良く見て取れた。
 垂れ目で勝気そうで、子供のくせにそこはかとなく意地の悪そうな雰囲気を醸し出している。
「もしかしなくっても阿部なんだよね〜!」
 口元に手を置いて、まだまだ表情が締まらない様子の水谷は、二人が答えを言う前に堪らずネタ晴らしをすると再び声に出して笑い始めた。
 背後の空気も微妙に揺れだしたので振り返り見ると、さすがに堪えられなかったのか、西広も肩を震わせて笑っている。
 それもそのはず、たまたま写りこんでいたチームメイトの子供の頃の写真ではここまで噴出さない。
 この場にいる全員が笑いを堪えられない原因は他にあって、この写真に写る阿部はとても目立つ、真っ赤な防具を身に付けていたのだった。
「確かにずっとキャッチ専門とは言ってたけどさ」
「まさかこんなの付けてたとはね」
「オレ対戦相手だったら、もうこれ見ただけで負ける自身あるぜ」
「さすが阿部、期待を裏切らない奴だよな」
 しばらくの間、その写真をネタにしてはああでもないこうでもないと、阿部の子供の頃を想像しては笑いあった。
 だが、さすがにいつまでも馬鹿にして笑っていると、当の本人が来てしまうので、程々のところでようやく復活した花井がたしなめ、それぞれが練習の準備を始める。
「ああもう駄目、きっと今日の練習中あいつ見たら噴出すかも」
「オレもオレも〜」
「ねえ、それもっかい見ても良い?」
 アルバムをバッグへ仕舞おうとしている栄口に頼むと、沖はもう一度、その写真の箇所を開いて眺めた。
 小さな阿部は、衝撃的な色の防具を付けているとはいえ、今と変わらず真剣な目をしている。チームの勝利を模索する目だ。
 そこはもうずっと変わらないのだろう。
「……あ、れ?」
 変わらないことに安心したのか、ふっと柔らかく笑ってアルバムを閉じようとした沖は、ふとあることに気づいて再び開いて顔を近づけた。
 河川敷に良くある野球場は、大抵が土手の真下に作られていて、そこから試合を眺めるものも少なくはない。
 この写真にも幾人か、土手の上から眺めている人たちが写っている。
 だが、沖が注目したのは、その見物人の間を縫って走っている、一人の少年だった。後姿でしかないが、肩には見覚えのあるスイミングスクールのバッグをかけている。
「うわ……」
 もしかしなくても直感で分かってしまった。
 これは、まだ野球を良く知らず、水泳教室に通っていた頃の自分なのだ。
 長く早く泳げるようになっていくのが楽しくて、スクールに早く行きたくて、河川敷で行われている少年野球になど脇目も振らずに走っていたあの頃の沖なのだ。
「すっげ、ニアミスじゃん」
 こんなに小さな頃に近くにいたなんて、すれ違っているけど、写真という一つの切り取られた同じ空間にいること、その事実に胸が震える。
 この次の年、沖は野球を始めるのだが、所属したリトルのチームがまた別の場所であったため、この土手は通らなくなった。
 きっとこの写真の存在を教えたら、持参した栄口が怒られてしまうだろう。だから阿部に伝えることは出来ないけれど、いつか話せれば良いなとは思う。
 これって運命なんですかね?
 沖は心の中でそう呟くと、アルバムを大切に閉じて、栄口へ渡した。



 ずっと書きたかった幼少期のネタです。
 意外と世間て狭いんですよね。色々捏造していてすみません。
 沖は中学で野球を始めたくちのような気もします。つか、そうかもしれない。


2010.4
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