恋もアレルギー



「なにお前風邪引いたの?」
 朝一で顔を合わせるや否や、呆れた顔で背後から声をかけてきたのは阿部だった。
 校内の駐輪場で自転車に鍵をかけていた沖はゆっくりと声のするほうを振り向くと、朝はおはようの挨拶から始まるものじゃないかと思いながら彼を見やった。
「お、は、よ、う」
「はよ」
 わざと一文字ずつ区切って言ってみるが、さして気にしたふうでもなくさらりと流される。
「なっさけねえの! どうせエロ本でも読んでて湯冷めしたんだろ」
「阿部と一緒にしないでよ」
「はあ!?」
 こばかにしたように言い放つそれが面白くなくて、先日花井にこっそりと教えてもらった阿部の秘密を口にする。
 途端に今までの上から目線な表情は一変し、焦りの色に染まる。マスクをしているからばれないが、今にも噴出したくて沖の口元は歪みっぱなしだ。
 返す言葉を必死で探している相手に更に追い討ちをかける。
「オレ知ってるんだもんね! この間、弁当の時に風邪薬飲んでたの!」
「な、お前」
「自分のこと棚に上げて人を馬鹿にすんのやめてよね」
 あまり長引かせるとその後の報復が怖いので、ぴしゃりと締めの一言を添えると、沖は荷物を持って歩き出す。
 何故か予想外に焦っているようだったが、気にしないようにして先を急いだ。
 本当は手持ちの雑誌に沖の顔写真を切り抜いたものを秘蔵しているなんてこと、知る由もないのだが。
「な、なあ。お前風邪じゃないの?」
 沖が花井から伝え聞いて知っていることは、エロ本をおかずにしてそういうことをして風邪気味だということだけで本当にそこまでなのだが、何かやましいことでもあるのか阿部はこちらの顔色を伺うように尋ねてくる。
 いい加減面倒臭いなあと思いながらも、それには一切触れずに質問にだけ答えることにした。
「違うよ」
「じゃあなんでマスク?」
 この時期にマスクをしていて風邪でないのなら、理由は一つしかないのだが思い当たらないらしい。
 きっと阿部には無縁なのだろう。
「花粉症だから」
「ん?」
「花粉症なの、スギ花粉のアレルギー」
「はあ?」
 阿部が朝からこのマスク姿を見て心配しているのは、風邪で体調を崩して練習に参加できないとかそういうことなのだろうが、花粉症と聞いてポカンとした表情になる。
 無縁の人には分からないだろうが、アレルギー持ちにとっては最悪の季節だ。
 こと沖は小学生のころからの長い付き合いなので、毎朝の天気予報で流れる飛散情報と予防のためのマスクは欠かせない。
 なので朝からマスクを着用してしっかりガードしているのだ。もっとも、練習になったら外さなければならないので、気休め程度にしかならないのだが。
「もうほんとこの時期は大変なんだからね!」
「そういうもんか」
「そういうもんだよ。鼻水は出るし目はかゆくなるし、ホント最悪なんだから」
 思わず長年の恨みを愚痴ってしまう。
 一度かかるとどんなに頑張っても気力では治らないから薬に頼るしかないのだが、そうすると場合によっては睡魔に襲われるので、厳しい練習をほぼ毎日行う身としては辛いものがあるのだ。
「それってうつる?」
「……え?」
 暫くの沈黙の後に投げかけられた質問に、今度は沖がポカンとなる番だった。
「阿部の周りには花粉症の人いないの?」
「や、いるのはいるけど、あんまり気にしたことなかったし」
「ふーん……。こういうのは感染症とは違うから、別にうつんないけど」
「そうか……じゃ、良かった」
 うつらないという答えを聞いて、阿部は何故か安心したような表情で軽く笑った。
 沖は質問の意図もその表情の意味も理解出来なくて、ただ首を傾げるだけだ。
「意味が分からないんですけど?」
「そうなあ、マスク越しでも良いかなとは思ったんだけど……」
 ちょうど部室棟前の階段を降りきったところで阿部は立ち止まり、周囲に人影や自分たちが今いる場所が死角になっていることを確認すると、沖の右腕を掴んで顔を寄せた。
 マスクを隔てて口元に感じる熱は一瞬で、すぐに離れていく。
 呆気にとられて立ち尽くす沖を見て、阿部は少し意地が悪そうに口元を吊り上げた。
「たまにはこういうのもありだよな」
「!!」
 耳まで熱を持って赤くなりながら、沖は手にしていた荷物を振りかぶって阿部の腹に命中させると、そのまま勢い良く部室へ飛び込んだ。



 沖は意外と繊細だと良いと思います。花粉症って繊細か……?
 花粉なんて関係なさそうな人→阿部、榛名、巣山、シガポ他


2010.3
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