素直な気持ち



 不意に触れたものは、少しかさついて冷たかった。
 他愛もない話をしていただけなのに、阿部は一言確認も取らずに顔を寄せてきた。
 そのスピードはとてもゆっくりで、止めようと思えば出来たのにそれをしなかったのは、沖も待っていたのかもしれない。
 本当はもう少しその感触に浸っていたかったのだが、それはすぐに離れてしまう。
 そんな心を見透かされたくなくて、沖は相手のシャツの襟首を掴むとキッと睨み付けた。
「最低……」
「やったもん勝ち」
 あわよくば殴ってやろうかという状況にありながら、どこからそんな余裕が出てくるのか、飼い犬宜しく首をつかまれた阿部は、んべっと舌を出している。
 普段の淡々とした彼からは想像がつかない姿だ。
 こんなにも無防備なままいるということは、おそらく沖の言葉や態度とは裏腹の本心が滲み出てしまっているのかもしれない。
 そう考えると、なんだか腹ただしくなってくる。
 誰もいない練習前の部室。
 示し合わせたわけではないのだが、たまに二人きりになりたい時、どちらともなく早く来てちょっとした時間を楽しんでいる。
 もちろんお互いに日時を決めているわけではないので、すれ違ってしまうこともある。
 それでも約束をしないのは、会えた時の喜びが二割り増しになるからというのを、二人は知っているのだ。
 二人しかいないとはいえ、ここは部室である。ましてや練習前はいつ誰がやってくるか分からない。
 そんな場所でキスをすることは滅多にはなく、今日はものすごく久しぶりだった。
「全然そういう雰囲気じゃないよ」
「そんなん関係ないし、オレがしたかったから」
「なにそれ! ただの我侭じゃん」
「素直だとでも言ってくれ」
 そういってニヤッとわらう彼に、沖は背筋がぞわぞわするのを感じた。
 阿部にしてみれば、今の自分に出来うる限り精一杯爽やかにしたつもりだったのだが、残念なことに沖には届かなかったようだ。
「いーやーだー。気持ち悪い」
 沖の表情がくしゃっとゆがんで、掴んでいた手をすぐに離しぶんぶんとかぶりを降った。
 そんな相手の一喜一憂が楽しくて、阿部は少し調子に乗って続ける。
「そんなオレが好きなくせに」
 いつだったか何気なく見たドラマの男が言ってた台詞だ。
 阿部自身こんな歯の浮くような台詞は言いたくもないし、言われたくもない。
 だけど、これを言われた女が真っ赤になるのを見たので、好奇心が勝り吐いてみたのだ。無論、沖は女ではなく男なわけだが。
「ば……っ、ばっかじゃねえ!?」
 真っ赤になるどころか、軽蔑の眼差しを向けられ、更にその距離が遠くなってしまう。
 これはいけない。
 思わず阿部は素直に謝罪の言葉を口にしていた。
「や、これは、言ってみたかっただけだけど……ごめん」
 あまりに素直過ぎる謝罪の姿勢に、沖は目を丸くしてしまった。
「……やっぱ、素直なのも気持ち悪い」
「はあ?」
「阿部は阿部らしくいて下さい」
「はあ? オレらしくってなに? つか意味分かんねえ」
「うん、まあ、深い意味はないよ」
 欲望に忠実な阿部も、ドラマの主人公みたいにかっこつける阿部も、結局から回って変なところで素直になる阿部も、今までだったらきっと見ることは出来なかった。
 こうして友達以上の関係になったことで色々な発見があり、それが腹ただしくもあり嬉しくもある。
 だが、本当はその言葉にちょっとときめいたことは秘密だ。
「……お前って時々遠い世界へ行くよな」
「……は?」
 しかし、阿部の考えが読めない時があるのと同じように、阿部も沖の思考回路があまり理解出来なかったらしい。
 ひざに頬杖をついて、呆れたように軽くため息をついた。
「そうなあ、特に深い意味はねえよ」
「真似すんな!」
「だけど、お前も、もうちょっと素直になれば?」
「ええ?」
 意味が分からないといった表情の沖を見つめながら、先ほどのやり取りで離れてしまった距離をじりじりと詰める。
 膝と膝が触れ合うくらいまで来た時、阿部は少しだけ沖に顔を近づけた。
 何故かその意味を瞬時に理解したようで、頬が少しだけ赤くなるが、飛んできたのは予想外の沖の右手だった。
「人の頭読んだ気になんなよ」
「でっ!」
 沖は頭を抑えて下を向く阿部の襟首を掴むと、自分の方へと引き寄せた。



 誰視点なのか、切り替えが上手くいきません……。
 沖からキスをさせたかったのです。でも無理だった。
 なんだか沖が強気ですが、やり過ぎた感はある。奴にはまだまだびくついてて欲しい。


2009.11
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