秋茜



「もしかして、阿部、背伸びた?」
「え?」
 どうしてこうなったのか、二学期中間テスト前の勉強週間、俺は阿部と一緒に帰路についている。
 部活も練習も大切だけど、学生の本分である勉強はもっと大切で、今回もモモカンから課せられた課題は「赤点を取らない」こと。取ってしまったら何が待っているのか分からないけど、今の俺たちにとって一番恐いのは尻バットとか甘夏握りよりも、練習をさせてもらえないことなのだ。
 だからみんな文句も言わずに―と言っても、好き好んで勉学に励むわけじゃないし、一部教科書から目を背けようとする奴もいる―テスト前の予習に余念がない。
 俺はというと、同じクラスの西広のおかげもあって、前回よりも幾分余裕があった。それでも、野球部の皆で解いた練習問題で数学に引っかかってしまったせいで、こうして数学の得意な阿部と一緒に近くの図書館に向かっているのだ。
 阿部と二人で歩くのはかなり久しぶりだ。
 家も反対方向だから一緒に帰るのも殆どないし、休みの日なんてまず一緒に出かけたことがない。
 そんなわけで、ちょっとビクビクしながら歩いていた俺は、なんだか阿部の目線が近くなったことに気がついたのだ。
「なんか、目線がそんなに変わんない気がするんだけど」
「伸びたよ。つっても2cmくらいかな」
 2cmも伸びたのか……、そう言いかけてやめた。何故か彼はどこなく不満そうにしている。
 俺たちは今、成長期だからしっかり睡眠とってしっかり食べればその分背が伸びていく。阿部は他の奴らとはちょっと違って、身体を休める時間がたくさんあったせいなのか、成長期真っ只中にあるみたいだ。
「もっと伸びても良いんだよ、全然足んねえ」
 何と比べているのか、右手を水平にしてかざし、おおよその長さを測っている。だいぶ上にかざしているけど、阿部はもっともっと身長を伸ばしたいのだろうか。
 中学の時点である程度伸びてしまった俺は、あまり自分の背を気にしてはいない。
「そういうもんなの?」
「お前なあ、野球やってる奴で170そこそこなんて、小さい方だぜ? もっと筋肉も付けたいし、オレもおにぎりの量増やしてもらうかな……」
 確かに自分も投手をやる上では、もっと上背はあった方が良いのかもしれない。でもなあ……ムキムキになった阿部や自分なんて、想像がつかないけど。
「相手に吹っ飛ばされねえくらいになんないと」
「あ……」
 不意に聞こえた言葉に俺は思わず声を漏らしてしまって、慌てて口を塞いだけれど遅く、しっかりと相手に聞かれてしまった。
 無論そんなの条件反射だし、頭にそれがなかったとは言い切れないけど、これじゃ、あの試合でのこと引き摺ってるみたいじゃないか!
「……お前まだ気にしてんの?」
 やっぱり阿部はそう捉えたみたいで、少し難しい顔になる。
 綺麗さっぱり忘れるのは―もう気にするなとは言われたけど―無理だけど、いつまでも気にしてウジウジしてるのは、もっと申し訳がなく思えるし、そう思われたくもない。
「そういうわけじゃ、ないけど」
 これは本心だ。
 だけど、変に口ごもったみたいになってしまったら、阿部はまたどこか勘違いしたみたいだ。困ったように眉間に皺を寄せてため息を吐くと、急にその両手が伸びてきて、頭をガシガシかき回された。
「わあっ、なにすんだよ!」
「お前の頭がそこにあったから」
 突然のことに反応が一拍遅れた俺は、頭をかき回す腕を掴んで動きを止めるくらいしか出来なかった。
 抗議をしても、だから?とでも言いたげな表情に反抗心が芽生える。
「うう、くそっ」
 阿部が一瞬気を緩めた隙を狙って同じように、ごわごわした頭をガシガシかき回してやった。
「んなっ!? てんめえ!!」
 不意を突かれてよろめきながらも、俺の腕を掴みにかかる手からするりと抜け出すと、とりあえずそのまま5,6歩下がって安全圏に逃げる。
 案の定、阿部の眉間には皺が寄ってピクピクしている。
「あ、阿部の頭が、そこにあったから」
 同じ台詞を出来うる限りの精一杯の笑顔で返すと、何故か阿部の全身から怒気が抜けていくのが分かった。
 ちょっと引きつり笑顔だったの、バレたかな……?
 だけど、ゆっくりと近づいてくるもんだから、俺は反射的に身構える。
「絶対お前の身長なんか抜いてやる」
「や、やれるもんならやってみな!」
 あと数センチだけどね!
 意外なことに、俺の目の前に出てきたものは、阿部の左手だった。え、なに、握手をすれば良いのか??
 筋肉質で温かくて豆のたくさんある、俺と同じような手だ。
「とりあえず、来年もまた宜しく」
「まずは秋大だろ?」
「ん」
 握手した手をどちらからともなく組み替えて繋ぎ、秋色に染まっていく空を見上げる。
 頭を思いっきりかき回されてうやむやになってしまったけど、阿部はさっきのこと、どう思っているのだろう? 俺が気にしてると思ってああいう行動に出たのだろうか。
 だとしたらちょっと情けない。
 俺気にしてないよ、引き摺ってないよ、もっと強くなるよ。そう願いを込めて繋がれた手に力を入れる。
 短くて濃密な夏の終わりにこうして君と過ごせたこと、そしてこれから過ごす時間を、俺はずっと忘れない。



 阿沖絵の小話です。アキアカネ、と読んでください。赤トンボの名前です。
 西浦最終戦アフタネタバレが若干入っていますが、夏の終わりまで、阿部はどれくらい伸びるのでしょうね。


2009.10
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