小さな嘘



 何の時だったかな?
 資料を渡す時だったかな?
 汚れたユニを受け取る時だったかな?
 おにぎりのお皿を渡す時だったかな?
 蚊取り線香を取ってもらった時だったかな?
 とにかく、いつだったかなんて覚えていないの。
 覚えているのは貴方にこの手が触れてしまったということだけ。
 気がついたら熱だけずっと残っていたの。
 だから逃げてしまわないように、閉じ込めておきたくて、この手を伸ばせない。
「篠岡、片付け終わった?」
 ああ、みんなが呼んでる。いかなくちゃ。
 今日は私も一緒にコンビニへ寄る日。
 この気持ちを抜きにしても、本当は毎日だって一緒に行きたいのに、遅くなるのを心配して、みんな週に2回くらいしか入れてくれないの。
 だけど、どうして今日なの……。
 だって心配なの。今、この手を伸ばしてしまったら、この熱は逃げてしまわない?
 どこかへ、ふいっと飛んでいってしまわない?
「おーい、どしたんだあ?」
 消えない保障なんてどこにもない。
 私にだって分からない。
 そう思うと恐くて、ここから動くことが出来ないでいる、臆病な自分がいる。
「おまえら何やってんの?」
「しのーかが出てこないんだよ」
「まだ帰る用意終わってねぇんじゃね?」
「さっきから呼んでんのに返事もないんだよ」
「聞こえてないのかな?」
「た、倒れて、たり……して」
「「!!?」」
「へ、変なこと言うなよ」
「しのーか大丈夫……」
「バッ!! アホかテメェ着替え中だったらどうすんだ!!」


 ゆっくりと静かにドアノブを回す音がして、篠岡が出てきた。
 少し申し訳なさそうな表情をしていたが、入口の前で騒いでいた西浦ナインはそれぞれがホッとした表情を見せた。
「ご、ごめんねっ、荷物まとめたら落としてばら撒いちゃって……」
「なんだー」
「聞こえてたんだけど、慌てちゃって返事できなくてごめんなさい」
「あはは、荷物ぶちまけると焦るよねえ」
その言葉に彼女はちょっとだけ目線を泳がせる。
「あ、変な心配してる奴らいるけど気にすんなよ?」
「あーそうだよ、コイツなんて覗こうとしてさあ」
「や、語弊があり過ぎだろ」
「ごへいって何? ごへいって何? ごへいって何?」
「う、あ、……間違いってことかな?」
「おまえらいい加減にしろ! 時間遅くなんだろ、さっさと行くぞ」
「ああっ、もう待ってよ〜」
 イライラを振り払うかのように、一人さっさと歩き出した影を追って、他の影たちも動き出す。
 篠岡はその集団の一番後ろを歩き始めた。
「嘘ついて、ごめんなさい」
 手を握り締めながらそっと呟かれた言葉は、誰にも届くことなく夜風に乗って消えた。



千代絵の独白文です。恋愛をすると心の中は我がままだらけになるちよたん。
特に特定はしていませんが、誰がどの台詞という設定はあります。


2009.8


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