たまには君と息抜きを



 放課後の校内はぐんと静けさを増し、閉じられた窓の外から喧騒がかすかに聞こえてくる。時々廊下を歩く音や、上履きを踏み鳴らす音も聞こえてくるが、時間が経つにつれ数が減っていく。それまでは気にもとめなかった夏虫の鳴き声が、過ぎた夏を惜しむかのように輪唱とも言えぬ大合唱で頭の中を駆け巡り、暑さを余計増長させる。
 週に一度の練習休みの日、本当は打合せの日でもあるのだが、水谷と巣山はそれをさぼり教室にいた。教室とはいっても四階の空き教室だ。どちらかのクラスにいれば、探しにきた他の部員に見つかってしまう。
 昇降口で鉢合わせた二人は、部室へ向かうことなくここへきた。言い出したのは水谷だが、それに乗ったのは巣山だった。一度一階まで降りてしまったのにわざわざ四階まできたのは、単に見つかりそうにない場所がこの教室だったからだ。それに此処からは、グラウンドが良く見渡せる。
「いーのかね。」
 換気のためか外の様子を見るためか、南側の窓を軽くすかしながら巣山が呟く。普段は使われない教室なので目立つようには開けないが、それでも外の音が今までよりもはっきりと聞こえてくる。
「この階、一年の教室しかないし、倉庫も同然の部屋だし、大丈夫じゃないの?」
 巣山の横で壁を背もたれ代わりに座り込みながら水谷は答える。
 目の前にある、今は使われていない机に、途中で買ったお茶が二本並んでる。巣山はそのうちの一本を水谷に渡しながら、ついでに軽く溜息を吐いた。最初は乗り気だった巣山だが、若干の罪悪感は感じているらしい。
「ミーティングのことだよ。」
「ああ、そっちか。」
「そっちって、お前ね。」
 自分もとお茶を手にして巣山は苦笑する。冷えた缶はうっすらと濡れていて、飲まずに手の中で弄ぶ。先にプルタブを開けたのは巣山だ。
「今日の議題って何だったんだろーな?」
「栄口から何も聞いてない? 同じクラスだろ。」
「聞きそびれて。」
「ふーん。花井と阿部の話だと、そんなにたいした内容じゃないぜ。今月のテスト期間前の練習日程についてだと。」
「あー……テストかあ。」
「テストだよ……。」
 二学期が始まり、まだ三週間も経ってない。だがすぐに中間テストがある。いつまでも部活動だけに入れ込んでいられないのは学生ならではだ。
「自信ある?」
「ないない、そんなモン。あったら毎回苦労はしてねえよ。」
「だーよなー。」
「すやまぁ、今すげえ俺のこと馬鹿にしただろ?」
「はは、ばれた?」
「……少しは隠そうとしろっつーの。」
 本気で可笑しいのか、隣に座る巣山の体が揺れる。
 余裕のあるそぶりに水谷は少しいらだつ。実際彼はそこそこ頭がいい。成績上位者が校内に張り出されることはこの高校ではないが、個々に配られる成績表を覗いたことがある。水谷が必死で勉強してようやく届く点数が、そこには並んでいた。
「でも、水谷だって成績悪くないだろ。」
 巣山なりに謙遜した言葉なのだろうが、単語だけ取ってみれば嫌味に聞こえないでもない。
「必死に勉強してもあのざまだけど。正直、でもテスト期間中の休みってありがたいよな。」
「そう? 俺は部活やりたくてたまらないけど。」
「そんなの誰だってそうだろ。だから、そういうんじゃなくて……周りのお小言を浴びることなく野球に打ち込むためには、学生の本分のための時間も必要っつーか。」
「水谷にしては珍しく真面目な発言だな。」
「あの……さあ、お前普段の俺を何だと思ってるわけ?」
「冗談だって。……うん、でも分かるよ。」
 上手く言葉に出来なくて語尾を濁して誤魔化すが、巣山は意図を汲んでくれたらしい。不意に恥ずかしくなって残りのお茶を一気に飲み干す。ぬるくなった液体が、体をめぐるのが分かる。
「大変だよな、学生って。」
 空になった缶を水谷の手から回収しながら巣山は言う。
 熱気に蒸れた教室で、窓を全開にしたい思いにとらわれながら、水谷は頷いた。それは恐らく、誰もが一度ならずと思うことだ。水谷も、勉強云々のことで何か言われる度に散々嘆いている。
「なっ、巣山は、勉強と部活どっちが大きい?」
「は、大きい? 好きの比率がってこと?」
「そう。」
「そりゃ当然、野球。」
「だよなー。」
「水谷は?」
 部活はと尋ねたのに野球と返したり、同意を伝えたのに聞き返すのが巣山らしい。
「右に同じく。」
 そう言って軽く苦笑すると、水谷は立ち上がり少しすかしただけの窓へ手をかける。いくら夏は過ぎたとはいえ、まだまだ残暑は厳しい。
 反対側の手に、冷たい何かが触れた。見ると巣山が腕を掴んで見上げている。
「見つかるぞ?」
 別に心配したようでもなく笑っている。室温は割と高いだろうにその手は冷たい。手が冷たい人は心が優しいとは言ったものだが、本当だなと水谷は思う。
 視線から逃れるように窓の外へ顔を向ける。
「あ。」
「何。」
 突然声をあげた水谷に、巣山の怪訝そうな声が重なる。
「もう遅いかもしれない。」
「は?」
「見ろよ、だって。」
 促されるまま巣山は立ち上がる。水谷の指差す方向には、こちらを見上げながら本校舎へ向かってくる野球部主将、花井の姿があった。
「早いな、何で見つかったんだ?」
「あー……まあ、主将だからな。」
「おい、それじゃ理由になってないぜ。」
「じゃあ、誰か密告者?」
「それは一理あるな。」
 実は二人がお茶を買っているところをを目撃していた三橋が、ようやく花井にそれを報告できたということなど知る由もない。
 そして、二人が揃って忘れていた監督という存在が、アマナツ袋を握り締めていることも。



当初は水谷と沖だったのですがしっくり来なかったので巣山に。恋愛とかではないですけど、よくコンビでいたりするのでこういう日常があってもいいかなと。

2005.4頃


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