想い人を前にしたらどうにも我慢が効かなくなって、気が付いたらその唇に噛み付いていた。


 放課後の教室


 突然のことに沖はついて行けなかった。
 先程まで部活の仲間といつものように談笑していたはずだった。だが気付けばその仲間に肩を掴まれ、更に至近距離まで近づかれ、あげく口元に少しかさついた感触を感じている。
 自分が今どういう状況に置かれているのか理解した瞬間、やや乱暴にその体を押しのけた。押し返された反動で、チームメイトが座る椅子が大きな音を立てる。それは誰もいない学校中に響いていくかのようだ。
「な、何のつもりだ……よ!」
 冷静になろうとすればするほど、自分の動揺具合に驚かされる。仲間であり名目上の女房である阿部は、別段驚いた様子もなくこちらを見ていた。
 お互い椅子に座り向き合ったまま、その間にある温度差は大きい。
「……逃げてくれ」
 暫くの沈黙を破ったのは、阿部の苦痛に満ちた一言だった。
「お願いだから逃げてくれっ……。」
 ただ黙って見続けるしか出来ない沖の目の前で、チームメイトは頭を抱えて蹲る。
 自己嫌悪に駆られているのが手にとるように分かる。伊達に出会ってからの半年間、ほぼ毎日ブルペンで一緒にいない。
「……」
 沖は鈍感だが、それなりに察しは良い。
 このチームメイトから向けられる自分を見る眼差しの中に、隠れて恋愛感情があることは、大分前からうすうす感づいていた。とはいえ自分からそれを指摘するわけにもいかず、距離を置くわけにもいかず、ずっとだらだらとそれを受け続けてきた。
 だから狭い教室で二人きりの今、チームメイトの理性の留め金が外れてしまったことは、至極当然の流れなのかもしれなかった。そして、その留め金が完全に外れていないことも、たった今、沖を守る為に発した一言に込められていた。
「あ……べ……」
 蹲る阿部の背中にそっと手を置く。これは決して同情などではない。
 いつかはこういう日が来ることを知りながら、野放しにしてしまったのは沖自身だ。
「顔、上げろって……」
 西日が翳っていく教室には、沖と阿部の二人しかいない。外の喧騒も次第に闇に吸い込まれていく。照明は初めから点けていないから、もしかしたら誰にも気付かれずに施錠されてしまうかもしれない。
 震える背中をさすりながら、後どれくらいこのままでいれるのだろうかと、沖は思った。



元はオリジナルの小説を救済。押さえが利かなくなった阿部と、それを受け止めようとする沖の話です。
3回くらいでまとめる予定なので、少しお付き合い下さい。


2009.7


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