小さな想いの芽



 素直な気持ちを言えば、二人の関係は『羨ましい』の一言に尽きる。
 予想外の出来事に直面した相手を労わって、あれだけ怒り心頭のはずなのに、その人の弱々しい声色を聞いた途端にその怒りの色を失って彼に寄り添う。
 それは、本当にお互いを大切に想い合えばこそ出来ることであって、今の自分たちにそれが出来るのかと聞かれれば、分からないとしか答えられない。
 夜の暗い帰り道、自転車をのろのろと引きずり時々立ち止まって、西広は何度目かのため息をついた。
「羨ましいんだよ……オレは」
 小さく呟かれたその言葉は誰にも届くことはない。
 上着のポケットをがさがさと漁って携帯を取り出すと、着信も新着メールの表示もない画面を見やって、また一つため息をつく。
 泉はもう家に着いただろうか。
 あれから阿部と沖は忘れ物を取りに来たという用事を済ませると、黙ってその場を立ち去っていった。
 まるで自分たちに見せ付けるかのように繋ぎ合わされた手は、はっきりと示された意思なのだと、西広はその時思ったのだった。
「泉は……あいつはどう思ったんだろ」
 二人が立ち去った後、どちらからともなく帰ろうかと呟きあうと、言葉を交わすこともなく別れてしまった。
 ただ無言でこちらを見ようともせず、前だけを真っ直ぐに見つめる泉の表情からは、その感情を読み取ることは出来なかった。
 そのことがとても悲しいなんて、今までは思いもしなかった。
「……」
 また自転車を引きずっていた歩を止めると、星空の見えない空を仰ぐ。
 目頭が熱くて、鼻の奥がつんとする。
「好きなんだ」
 いつの間にか開き始めていた小さな想いの芽を、西広は誰にも気づかれないように、自分でも気づかないようにそっと心の奥にしまってきた。
 だが、今日のこの一件で、それが一気に花開いてしまった。
「どうしよう……!」
 興味本位で身体を重ねることから始まった関係なのに、お互いの想いなど必要なかったはずなのに、西広は気づけば泉のことが好きで好きで堪らなくなっている。
 自分から何か話せば良かったのかもしれない。
 それでも二人で歩く帰り道、何も話してくれなかったのが悲しい。
 分かれ道でさよならすら言ってくれなかったことが寂しい。
 こんなにのろのろ歩いている自分より、きっともう家に着いているはずなのに、連絡さえくれないことが辛い。
 夜空を見上げたまま、顔を手で覆う。恋がこんなにも苦しいものなんて、知らなかった。
「もう終わりなのかな」
 誰にも見つからないからこそ続けてこれた関係だから、部室であんなことをしているなど他の第三者に知れたら、もうきっと今までと同じではいられなくなる。
 あの二人が他の部員に言うとは思えないが、知っていることを知っているからこそ、続けてはいけなくなる。
 泉が連絡をくれないのだって、きっとそういうことなのだ。
 手の間から零れるものは、静かに頬を伝って消えていった。


「西広、……ちょっと良い?」
 朝練の終わり、何となく避けていた沖から突然声をかけられて、西広は返事を返すことも出来ず黙って頷いた。
 避けていたのは向こうも同じで、彼にしては珍しく勇気を出してきたようだったが、やはり気まずいのか目線を合わせることはない。
 教室へ向かう準備も全て整えてから、二人は部室を後にする。
 阿部はこちらをちらりと見ていたが、泉とは、一言も言葉を交わせなかった。
 中庭の人気のない一角を選んで、沖と西広は腰を下ろす。
「……昨日の、こと、なんだけど」
「うん」
 緊張しているのかどもりながら話す彼は、まるでうちのエースのようだなあとぼんやり考えて返事をする。
「ごめん」
「……なんであやまんの?」
「や、だって、その……」
「あれはオレらが無防備過ぎたんだよ。もっと危機感持つべきだったなあ……」
「そっ、そういう問題じゃ……!」
 あんまりにも申し訳なさそうに話すので、あっけらかんと返事を返すと、沖は予想外の答えに戸惑ったようだった。
 それでも顔はどことなく赤いし、目線もまだ会わせようとしないから、色々なことをひっくるめて気まずいのだろう。
 阿部との関係のみならず、二人で学校のトイレでしていた事を泉に聞かれていたという、衝撃的な事実まで明らかになったのだから。
「ちなみに後学のために聞くけど、お前らはどっちが下なの?」
「…………、はあ!?」
 さらっととんでもない質問をぶつけると、案の定沖は耳まで真っ赤になって仰け反ってしまった。
「そそそそんなの、知らないよ!!!」
「当てて良い? たぶん沖だよね?」
「ああ当てなくて良い! 当てなくて良いからっ!」
 相当な勢いで西広の口を塞ぎにかかる沖を見て、きっと図星なんだと思った。自分と同じだ。
 やっぱり羨ましい。
 ふとそのどうでもいい思いが心をよぎると、今までぼやぼやと明るく過ごせていた空気がどこかへ消えてしまったようだった。
「……西広?」
 両手で口を塞がれたまま抜けてしまった気を、沖は敏感に感じ取ったらしく、手を離すと心配そうに名前を呼んだ。
 明るくなんでもないように振舞ってはいたけれど、湧き上がった不安は消せない。
 おそらく終わってしまうであろう彼との関係を、繋ぎとめる方法があるのならば教えて欲しい。
「あの、怒らないで聞いて?」
「ん……」
「お前もしかして、泉のこと好きなんじゃないの?」
 体勢を整えて隣りに座りなおした沖は、こちらを見ようとはせずにゆっくりと言葉を発した。
「そうなんだよね……?」
 たぶん沖は確信を持って聞いてきたのだろう。次に発せられた言葉は、肯定を促すものだった。
 西広はただ黙って膝を抱え、そこへ顔を埋める。
 震える肩が落ち着くまで、沖も何も言わず、そばに寄り添っていた。



暗い感じに突き進みます。
もっともやもやさせたいけど、技量がない!


2010.2
2012.6少し修正


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