パズルのピース



「水道で逆噴射させちゃった」
 そう言って沖がジャージをロッカーから引っ張り出しているのに気付いたのは、6時限目の授業が終わって清掃時間に入る前のことだった。
 濡れたシャツを丸めてTシャツ一枚で少し寒そうにしている。
 他のクラスメイトは、ばっかだなあと笑いながら特に気にしたふうでもなくその光景を流しているが、少し離れたところで机に椅子を上げながら、西広はそれが嘘であると唐突に思った。
「お前どこ掃除?」
「あ、えーっと……放送室だ! 行ってくる!」
「あそこ、ちゃっちゃと終わらせねえと放送部がうっせえんだよな」
 慌ててジャージを羽織ると、ロッカーに無理矢理シャツを詰め込んで、沖は教室を飛び出した。
 きちんと入れなかったせいで袋が落ちかけている。
 近くにいた友人がそれを直そうと手を伸ばすが、西広はそれをやんわりと制す。
「オレがやっとくから箒で掃いちゃって」
「おー、わりーな」
 みんな気付いていて気付かない振りをしているのだろうか。
 今日、沖は午後の授業を全てさぼっている。だが、月に一回あるかないかでさぼることがあるので、もしかしたら気にしていないのかもしれない。
 一体何をしているのか、一度聞いてみたことはあるが上手くはぐらかされてしまっていて、西広はここ数ヶ月その疑問を解消出来ないでいた。
「にしひろー!」
「あれ? どうしたの?」
 シャツの入った袋を持ったままぼうっとしていたらしく、名前を呼ばれて慌てて顔を上げる。
 見ると、教室の入口に花井が立っていて手招きをしていた。
「悪いんだけど、今日オレ練習遅れそうだから先に準備して始めててくんねえ? 一応1組にも寄ってくるけど、ついでに田島と三橋のお守りも頼む」
「うん、どうしたの?」
「阿部の奴、午後の授業全部さぼりやがってよ。オレのノート写すまで部活行くなって担任に怒られたんだ」
「……え?」
「ひでー話だろ? オレ全然関係ねえのにさ。昼寝したかったからとか、そんなのみんな同じだっつの!」
「……」
「そういうわけだから、あと頼むな!」
「あ、ああ」
 取り敢えずの用件だけを話すと、花井は足早に2つ先の教室へと向かった。
 その様子を眺めながら今日の昼休みの光景を思い出す。
 クラスの友人とくだらない話で盛り上がっていた中、不意に鳴り出した携帯を眺めていた沖は、気がつくと教室から姿を消していた。トイレにでも行ったのだろうかと思っていたのだが、結局本鈴がなっても戻っては来なかった。
 午後の授業を全てさぼった二人のチームメイト。濡れたシャツ。パズルのピースがすとんとはまったような気がする。
 この時、西広がずっと抱き続けてきた疑念は確信へと変わろうとしていた。


「お! おわっ!」
「あははー、これ取れる?」
「くっそもう一回!」
 練習が始まってから数十分、意地悪トスを繰り返していた西広は、視界に人影を捉えて目で追った。
 見ると、遅れてやってきた花井と阿部がベンチで何か話をしている。
 花井の機嫌がだいぶ悪いようで、おそらく謝っているのだろう阿部が何度が片手をあげて、ごめんというような仕草を取っていた。
 ちょうど西広の場所からベンチまでの直線上に沖がいて、思わずそちらの様子も伺ってしまう。
 二人の話し声がここより近い分良く聞こえるのか、気付いてチラッと視線を送るが、結局それだけですぐに練習に戻ってしまっていた。
「なんなんだ……」
「え?」
 思わず漏れてしまった呟きを、放たれたボールのごとく素早く拾って、練習のペアを組んでいた泉が聞き返す。
「あ、うん。やっと花井と阿部が来たなと思って」
「……」
 聞かれても答えに困るようなことで悩んでいたため、返事に迷うが上手くごまかせただろうか。
 西広は自分のとっさの言い訳がばれないよう願うのに意識が集中して、目の前にいる泉の目線がわずかに泳いだことに気付かなかった。
 手にした帽子で阿部の頭を軽く叩くと、練習に合流するために花井がベンチから出てくる。そして全体に軽く遅れたことへの謝罪をするとストレッチを始めた。
「沖、どこいくの?」
「投球練習あるから阿部の柔軟手伝ってくる」
「じゃあ、オレは花井と組むか」
 視界の端で誰かが動く気配がして再び視線を戻すと、入れ違いに沖がベンチへと戻るところだった。
 沖と一緒にペアを組んでいた田島は勢い良く立ち上がって花井の元へ向かい、なんでお前なんだよ!と早速煙たがられている。
 いつもなら、その光景を西広は笑って眺め、泉は様子を見て止める体制に入るのだが、今日は二人とも沖の後姿をずっと眺めていた。
 ベンチから出たところで立っていた阿部は、彼を迎えると何事か話していたが、すぐに二人は柔軟体操を始める。これだっていつもの光景なのに、それでもいつもと何かが違って見えるのは、西広の中の疑念のせいなのだろうか。
 特になんら変わりのない風景に、ふうっとため息を吐くと、中断させてしまっていたトス練習を再開するために泉へ向き直る。だがこの時、思わぬ相手の変化に目が留まってしまった。
「あ、え、泉?」
「……!? ごめんっ、オレ」
「監督! 泉がなんかお腹痛いみたいでちょっと保健室行ってきても良いですか?」
「西広っ……」
 羞恥にかられて飛び出しそうな泉の肩を掴んで動きを制すと、西広は一言断りを入れ連れ立ってグラウンドを後にする。
 素早く機転を利かせられたのは、おそらく泉もあのことに気付いている一人に違いないと直感で思ったからに過ぎないが、今の彼の状態にどこまで触れて良いのだろうかと分からなくなっていた。
「ごめん……」
 駆け込んだ校舎裏のトイレのドア越しに、泉が力なく謝罪をする。
 本当はそっとしておいた方が良かったのだろうが、いてくれと頼まれてしまったので、泉のそれが終わるまで二人はトイレのドアを隔てた空間にいることになった。
 あの二人のことに気付いていただけでこんなふうになってしまうのだろうかと思ったが、でも今のこの状態はおそらく何かを知っているのだろうと、そっと声をかける。
「やっぱり……気付いてたんだね」
「……というか、見た、というか」
「見た?」
「正確には聞いた、かな。……たまたまなんだけど、今日の午後、あいつら……特別棟のトイレで……」
「……」
「なあ、あの二人ってもしかして……」
「もしかしなくてもデキてんだよ」
「まさか」
 この期に及んでも泉は信じられないらしい。
 阿部と沖の午後の秘密を目撃した話を聞いて、はっきりと確信に変わってしまってから、西広は今まで自分が見てきたものを洗いざらいぶちまけてしまおうと思った。
 それは、一種の諦めに似ていたのかもしれない。
「沖に好きな奴がいて、その人と上手くいったぽいとこまでは本人から聞いてんだ」
「……それが阿部?」
「オレが何でそう思ったかっていうとね……。阿部は沖に触れないんだよ」
「は?」
 そう、沖がうっかり顔に出してしまって発覚した恋愛事情の少し前から、阿部は沖に触れなくなっていた。
 西広自身気がついたのは最近だが、最初におかしいなと思ったのは、2ヶ月前の練習試合のときからだった。
 継投ではあったが、珍しくあの二人でバッテリーを組むことになり、花井が相手であろうとなんだろうと手を合わせる行為を怠らなかった阿部が、それをしないのである。
 このときばかりは沖から手を合わせるというおかしな図式が出来上がっており、ベンチで控えている西広からはそれがとても良く見えた。
 おそらく、その滑稽な場面に内野人は気付いているのだろうが、恋愛に対して淡白な態度をとっている二人を見ているから、そこまでは知らないのだろう。
 きっと気付いているのは、泉と西広だけだ。
「それに時々、携帯を眺めたかと思うと、どっか行っちゃうんだ。そういう時は大概、阿部も教室にはいないみたいなんだよね」
「……だからって、なにも学校でやんなくっても良いだろ」
「だってそんなの、家じゃ出来ないじゃないか」
 もちろん、家だろうと学校だろうとリスクは伴う。現にシャツは汚れてしまったみたいだし、こうして泉に見つかってしまっている。
 そうまでしても抱き合いたい理由は何なのか、到底分かる気はしなかった。
「オレさあ、沖のあんな声聞いちゃったから……もう二人見て思い出しちゃって。ダメだ、もう最悪じゃね?」
「泉……」
 ドアを隔てた向こう側、落ち込むチームメイトの口から何が発せられるのか、西広は全く考えてはいなかった。



「不毛な言い争い」の西広視点の話。
これは表の「放課後の……」設定と繋がっていますが、ここでは予想通りの展開で泉西へと続きます。


2009.12


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