◇第六話◇


 あの悪夢の日から一週間後の土曜日の夜、阿部が沖の部屋へやってきた。
 バイト帰りに原付バイクに乗って、アパートの駐輪場にとめる。一部屋にひとつ駐輪場と駐車スペースが設けられているのだが、沖は免許を持たないし、自転車は折りたたみ式を使っていて、いつもは玄関の片隅に置いてある。なので、空いた場所を有効活用しているのだ。
 夜は音が良く響いて、近づくエンジンとスタンドを立てる音で、阿部が来たことが分かる。
「……さて」
 合鍵は渡していない。
 着けば必ず着信を入れてくるので、それに合わせて玄関の鍵を開けて待つのが、二人のいつものやり取りだ。
 誰かが自分の部屋の前の玄関に近づく音が聞こえると、ゆっくりとドアが開いて、阿部が顔を覗かせた。
「ちわ」
「お疲れ」
 自宅に寄らずそのまま来たのか、頭にはタオルを巻いて、汗の臭いが外からの風に乗って届く。
「ご飯まだだよね?」
「いや、今日はうちで食べるよ。帰るって言ってあるから」
「なんだ、そうなの」
 残念だなあと肩をすくめてため息をついてみせると、少し申し訳ないような表情をしながら、彼は片手を挙げた。
「まあいいけど。上がって」
「うん」
 今日、阿部が来た目的は、前回この部屋に泊まった時に置いていった、自分の洗濯物を引き取るためだ。翌日のことを考えると、着替えを持って移動するわけにもいかず、ここで洗濯をして乾いたら後日引取りに来る、という約束をしたのである。
 靴を脱いでいる間に、沖は先に部屋に向かった。
 洗濯物はもうとっくに乾いていて、いつ取りに来ても良いように袋に入れて仕舞ってあった。自分が彼の家まで届けても良かったのだが、男が洗濯した自分の服を持ってきたら家族に怪しまれると、阿部が渋ったので一週間も経ってしまったのだ。
「はい」
「ありがとな」
「……」
「なんだよ」
 携帯の画面越しでは誤魔化せてきた感情が、いざ面と向かって対峙すると隠せなくなるのはどうしてなのだろうと、沖は苦々しく思う。
 それは阿部も同じなのか、相手が何を考えているのか悟ったようで気まずそうに顔を逸らした。
 あれからお互いに西広の件について、話題にすることもなくうやむやのまま時を過ごしてきてしまった。もちろん本人とその事について話し合いを持つこともなく、何となく避けたまま別れてきたのだ。
「オレさ、このまま流すこと出来ない」
「ああ」
「西広はオレにとって、高校時代の一番の親友なんだ」
「知ってるよ」
「分かってくれなくても、本当のことちゃんと言った方が良いって、思って」
 そうは言ってみたものの、本音は逃げたくてたまらない。それは一週間経っても変わらなくて、聞かれた相手が西広じゃなければ、このまま全部うやむやにして距離を取ってしまいたい。
 それでも逃げずに向き合おうと思うのは、西広が親友として大切な人間の一人だからだ。
 だけど、この決断は自分一人で下せるものではない。
「阿部はどうなのか知りたい」
「……あー」
 阿部と沖、二人の問題でもあるので、自分がこうしたいからだけで動けるものではないのだ。自身の気持ちをはっきり伝えると、阿部は腕を組んで少し考え込むような仕草をする。
 仮に相手が何事か理由を付けて反対しても、納得出来るまで説得する覚悟はあったが、その考える時間は嫌というほど長く感じた。
「正直なとこ言わしてもらえば、オレは逃げたいんだけど」
「や、やっぱり……でも!」
「相手が西広だからなー。逃げるわけには、いかねーだろうなあ」
 腕を組んだまま壁に寄りかかり、何かに頷きながら阿部は目を閉じる。
「ただのクラスメイトで普通に友達……な、だけだったらうやむやにしたけど、仲間はやっぱ無理だ」
「阿部」
 そういうと目を開き、話を持ちかけたときには目線を外されてしまったが、今度はしっかりとこちらを見据えてきた。
「どっちにしろ、気まずくなんのは避けられないよね。話さないで後悔するより、ちゃんと話をしてその上で嫌われた方がいい」
「嫌われるの前提?」
「そもそもオレ達の関係の方が普通じゃないんだから、理解してもらおうなんて虫が良すぎるよ」
「まあ、確かにな。……それと、これはメンタルの問題だと思うんだけど」
「?」
 阿部は組んでいた腕を解くと、今度は沖の腕を掴んでゆっくりと顔を近づけてきた。
 他愛もない、いつも通りのキスの風景なのだが、お互いの唇が触れ合いそうになった瞬間、沖は相手の腕を振りほどいて両手で身体を押し戻した。突然の無自覚な行動に、自分自身びっくりして目を丸くする。
「ごっ、ごめん!」
 行き所をなくした手をどうしたらいいのか分からずヒラヒラさせていると、この沖の行動は予想していたのか阿部がため息をつく。
「やっぱりな」
「え?」
「お前がそのまま何もしなかったら、たぶんオレが同じことしてたよ」
「それって、え、何で?」
「他人に知られたことがショックで、オレらの中でトラウマになってるってことだよ」
「……ああ」
 その言葉は、沖の中ですとんと型に嵌ったような気がした。
 自分自身気がついていなかったけれど、今こうしている間にも、誰かが見たり聞いたりしているかもしれないという得体の知れない恐怖が、心の奥底に入り込んでいる。
「ちょっとこれは予想してなかった」
「話し合いしたとこで、これが解消されるとも思えねえんだけど。向こうがうやむやにしちゃ駄目な相手っつーのと、勝手な話だけど、オレ達がスッキリするためっつーのと合わせて、やっぱ一度は西広と会わないと駄目だ」
「西広のためだけじゃなくて、自分たちのためというのが含まれるってわけね」
「まあ、平たく言えばそーゆうこと」
 これはずるいことなのかもしれない。
 最初に考えたことは、西広は自分の親友なのだから曖昧にしてはいけないということだけだったのに、結局はそこに自分たちの都合も乗ってしまっている。西広のためといえば聞こえは良いけれど、それが全てではない。きっと、そこだけは隠し通さなければならないことなのだ。
 ちらりと時計を見て時間を確認すると、服の入った袋を手にして阿部が部屋のドアノブに手をかける。その時――。
「あ、メール……」
 机の上で音と振動を鳴らすそれを手にして、沖は固まった。
「どうした?」
「これ」
「え、見てもいーの?」
 文面を開いて、画面を顔の前に突き出す。
 西広から会いたいというメールが届いたのは、あの日から一週間後のことだった。


2013.5
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