◇第四話◇


 球場入口にあるテントで、入場チケットと今大会のパンフレットを購入すると、人混みを避けるようにして前へと進む。
 四回戦とはいえ、甲子園出場経験のある高校ということもあり、観戦者数は多い。特に西浦は近年一番勢いのある学校として、高校野球ファンからの人気が高い。歴史ある古豪や甲子園常連校といった強豪校とは、また違った魅力があるらしく、練習試合にまで見学に来る者もいるくらいだ。
 スタンドの通路を抜けて日差しの下に出れば、見慣れた懐かしい光景が広がる。
「わー、結構ひと入ってんね」
 試合開始30分前だというのに、すでに観客席は人で埋まっている。今日は第一試合なので前からの居残り組がいないにしろ、これだけの人数を目にすると、西浦も人気校の仲間入りをしたんだなとしみじみ思えた。
「花井、三塁側座れる。しのーかが場所取っといてくれたみてーだ」
 試合前の整備されたグラウンドと、ボール回しをする後輩達の光景を懐かしく眺めている面々に、泉が声をかける。
 その指を差す方向を見やると、父母会の手伝いで別行動だった篠岡が手を振っているのが見えた。
「ナイスしのーか!」
「うっし、じゃあ行くか」
 花井の号令と先導の下、野球部OBの一行は太陽の照り返しで熱を持つ通路を歩き始めた。
 

「栄口、悪りーんだけど車の鍵貸して」
「どしたの?」
 試合が西浦の2点リードで中盤に差し掛かった頃、隣りに座る栄口に対して、阿部は小声で耳打ちをした。
「なんか、沖がバテたみてーでさ」
「え、大丈夫かよ?」
 沖は自分たちの後ろの段に座っていて、見れば下を向いて目を閉じている。その顔は青白く、それだけで具合が悪いことが分かった。
「ちょっと水分取らして休ませっから、車かしてくれ」
「それはいいけど……、はい」
 ズボンのポケットを漁ってキーを取り出す。それを受け取ると、阿部は沖に立つよう促して自分の肩を差し出した。
 今日集まったOBの中で、車で球場へ来たのは栄口だけで、阿部はそれに同乗して来た。だから、阿部が介抱の為に車を借りたいと言い出すことや、チームの副主将でもあったから、自分がその役を買って出ることはなんらおかしくはない。
 事実、見るからに沖は顔面蒼白で汗をたくさんかいており、近くに座っている彼がそれに気づくことへの違和感など誰も覚えるはずもなかった。
 ただ一人を除いては。
「救護所連れてった方がいいんじゃないの?」
「最悪んときはそうする」
「それと、親父のだからなるべく吐くとかそういうのは……」
「それも気をつけるよ。ありがとな」
 何人かが異変に気付いたようだが、そのあたりは栄口が上手くフォローしてくれるだろう。
 ただ、振り返りはしなかった。
 西広とはその後、何も話さなかった。状況を詳しく掴みきれていない部分もあるが、あの様子だとおそらく昨日全てを聞いていたはずだ。
「ごめん」
 阿部の肩に支えられて席を後にしながら、消え入りそうな声で沖が呟く。
「……うん」
 球場のゲートを後にする頃には沖は一人で歩けるようになっており、人も疎らな駐車場を二人で黙って歩いた。そして栄口の乗ってきた車を見つけると、助手席のシートを倒して沖を座らせ、自分は運転席へと乗り込んだ。
「冷房つけっか?」
「いい、……うちわちょーだい」
 バッグに差し込んでいたうちわを抜いて渡し、キーをまわして窓を開けると、再びそれを切って外す。
 中に熱がこもらないよう窓をすかしておいたのに車内は暑くて、外の空気が入って少しだけ温度が下がる。さっきまでいた場所よりも格段に湿気が多く、休むには適してなどいないのに、それでも皆といるよりは気を落ち着けることが出来た。
「恨む相手なんて、どこにもいねえんだよな」
 しんとした車内に阿部の低い声が響く。
「まさか自分の部屋に、帰ったはずの奴がいるなんて……思うわけねえよ」
「……ごめん」
「お前が誤る必要なくね?」
「聞かれてたのかな」
「ああ、そうだろうな。確実に聞かれてただろうな」
 だからこそのあの反応なのだろう。
 泉を必死で止めようとしたり、沖の部屋に自身がいた事実を黙っていたということは、おそらく自分が知ってしまった事実を、誰にも話すつもりはなかったのだろうと思う。
 最初はよく分からない怒りも湧いたが、それよりも自分と沖がしていたことを考えると羞恥やいたたまれなさの方が勝っており、今の阿部は思うより冷静になっていた。それは、頭を冷やすのにかかる時間が違うだけで沖も同じなのかもしれないが、西広と一番仲が良く、だからこそ誰よりも秘密にしておきたいことだっただろうから、その身に受けたショックの大きさは計り知れない。
「……見られたと、思う?」
「っ、それは……出来れば、考えたくない」
「オレもだよ」
 裸で絡み合う場面を見られるより、声や音を聞かれただけのほうが幾分マシだ。それにあの日は阿部が受け入れる側にいたので、女みたいなことをしている自分を沖以外の誰かに見られたなどとは考えたくもなかった。
 そうは言っても、どちらも最悪の結果でしかない。第三者に知られないに越したことはないのだから。
「……」
 どちらかが点を入れたのだろうか、遠くから歓声が聞こえてくる。こちらと向こうでは、まるで別世界だ。
 後輩の試合観戦に来ただけなのに、こんなことになるなんて思いもしなかった。高校生の頃は、あれだけ一緒に過ごしてきたのに誰にもばれなかった。それだけ細心の注意を払っていたといえばそれまでだが、今でも二人の時とそうでない時の切り替えには、神経質なほど気を使っていたというのに。
「西広もショックだったろうな」
「うん」
「ただでさえ男同士で、しかも、よりによってチームメイト同士とか」
「あいつにだけは、絶対ばれたくなかった」
「沖……」
 掠れるような声でそう言うと、沖は両手で顔を覆った。
 長く付き合ってきたといっても、彼の頭の中を半分くらいしか理解していない自覚はある。それは、相手の全てを知らなくてもいいといった阿部なりの勝手な持論だが、そんな自分でも、今の沖の気持ちは手に取るように分かった。阿部だって、仲の良い友人に知られたらどうなっていたか。特に、三橋になど知られたら、考えるだけで鳥肌が立つ。
 ハンドルに手をかけて、ギュッと力を込めて握り締めると、再び聞こえてきた歓声に球場の方を見やった。
 このまま体調が優れないという理由で、皆に合流しないという手はある。だが自分も、そして彼も、その性格がそれを許さないだろう。また、事情を知っているであろう西広だって、自分たちを軽蔑するに違いない。
「引いたよな、絶対引いたよあいつ……ああああああ」
 両手で顔を隠したまま、沖は足をジタバタとばたつかせた。何か嫌な考えを消し去りたい時にするくせだ。
 反動で車体がみしっと揺れて、阿部は眉間に皺を寄せて目を細めた。
 自分でも驚くほど冷静な精神状態ではあったけれど、これから先のことに対してはどうしたら良いのか、さっぱり思い浮かばなかった。


2013.4
2013.9加筆・修正
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