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◇第二話◇ 背中と首に感じる違和感で、不意に目が覚めた。 慣れないアルコールをたくさん煽った影響が全く抜けておらず、むしろ目の前がぐらぐらと揺れて、西広は思わず蹲るように体をぎゅっと抱えた。 「……?」 ここはどこだろう。真っ暗闇の世界だ。 ぼんやり揺れる意識の中で、今までのことを思い返す。確か、後輩の試合観戦に行く前に親友の部屋に押しかけて、みんなで酒を飲んでいたはずだ。部屋の主が押しかけ人にこき使われて買出しに行かされ、その帰りを待ちながら何か話をして――自分の記憶はここで途切れている。 自分は寝てしまったのかもしれない。そういえば、沖に11時には必ずここを出て行くよう念を押されていたはずなのに、暗闇の中にいるということは誰も起こしてはくれなかったのか。 (それにしてはなんか……) ここは本当に沖の部屋か? そんな疑問が沸いてくるが、全身をめぐり続けるアルコールがその思考を停止させようとする。 体もうまく動かせないし、ごつごつしたものも当たる。そして何より、感覚で分かることがあって、なにやらとても狭い空間にいるということ。 西広はゆっくりと息を吐いてから、もう一度、周りを注意深く見渡した。 「ん?」 よく見てみると自分が置かれている空間に、二つの光の縦筋があることに気がついた。 最初はそれが何なのか理解出来なかったのだが、少しずつ暗闇に慣れてきた目と頭で、それが外から漏れてくる僅かな光であり今、自分とそれを遮っている物が何かの扉であるということが分かってきた。足元にはダンボールや衣装ケースのようなものがあって、クッションや毛布に自分の体が埋まっている。 (クローゼット?) ああ、と西広は思った。 ここは沖の部屋のクローゼットだ。どういう経緯を辿ったらこうなるのかさっぱり見当もつかないが、どうやら自分はその狭い空間に押し込められているようだった。 「はあ……」 酔って寝てしまったから、いびきが煩くて入れられたのか起こしても起きないので入れられたのか、とにかく理由を考えるのがめんどくさくて頭に手を置いてため息を付く。 あの二人のやりそうなこと。よく沖が許してくれたものだ。 いや、それとも知らないのか。 (何か変だ) 少しずつ覚めてくる意識の中に、扉の向こうの音が流れ込んでくる。 誰か、いる。 そりゃ沖んちなんだし誰もいないってことはないだろう――と思っても、何かしらの違和感を覚えずにはいられない。 音を立てないように体勢を変え、西広はそっとクローゼットの扉に手をかけて少しだけ透かした。 「あっ、ああっ」 「!?」 思わず声を上げそうになって、寸でのところで堪える。 「……あ、はあっ、あっ」 何が起きたのか、少しの間理解出来なかった。 扉を開け、聞こえてきたのは人の喘ぐような声と、何かが擦れるような音。西広は止まってしまった手をそのままに、体を開いた空間に近づけて中を覗く。 部屋の中は思いのほか暗く、隙間から漏れていた光はどうやら廊下の灯りのようだった。部屋と廊下とを繋ぐドアは、曇りガラス張りにになっていて光がよく届く。そして、その灯りに照らされて、裸の男の背中が見えた。 顔は見えないが、それが沖であるのは明白で、両手を前について腰を前後に動かしている。その向こうには開かれたもう一人の足も見えた。こちらになど当然気づくわけもなく、時々声を上げながらもその律動を止めることはない。目の前で起きている光景から、西広はどうしても目を逸らせることが出来なかった。 彼女がいるという話は聞いたことがない。 自分自身に彼女がいないこともあるが、元来の照れくささもあって沖とはあまり恋愛の話をしたことがなく、たまに会っても女の匂いなど全く感じることもなかった。それに、もし彼女が出来たのならば、親友である自分にまず教えてくれるだろうという思いもあった。 (黙ってたのかよ……) 親友のセックスを見てしまったこと以上に、自分には秘密にされていた事実の方が思いのほかショックで、西広はただ呆然と、沖とその彼女の行為を見続けた。 「オレ、イキそーなんだけど」 「なんで聞くの……」 しばらく二人の行為を眺めて、さて、どうやってこの場を逃れようか別の心配が西広の頭をめぐり始めたとき、聞こえてきた会話に思わず耳を疑った。 「誰も止めねーよ、バカ」 「うん、ごめん……。あ、う……」 セックスは女とするものだ。だから相手は――。 その当たり前の常識の元、クローゼットの中にいた西広は背筋に悪寒が走るのを感じた。 沖の言葉の向こうに聞こえてきたのは、どう考えても女のそれではなく、男の声そのもの。無意識のうちにもう一度扉を開けようと、伸ばした手が小刻みに震える。 ダメだ、今開けたらきっと気づかれる。 「一度でいいから、オレが挿れてるときにお前をイカせてみたかったのに……」 「こればっかりはなー……」 二人とも射精を終えたのか、絡み合う声は吐息に変わる。 何をしているのか、時々吐息が荒く乱れては、端々に漏れる声が響く。 「あーあ、明日早いしもっと睡眠時間とる予定だったんだけど、もうこんな……」 「そーゆーなよ。あいつらだって悪気があって来たわけじゃねえんだろ」 「分かってるけど。久しぶりなんだし、ヤリたいじゃん?」 「過ぎたこと言っても仕方ねーっつの」 この声の主を西広は知っていた。 最後に会ったのは確か、去年の、やはり埼玉大会の観戦のときだった。 「それより風呂入って寝よーぜ」 「そだね。あ、服貸すよ、いま出す……」 クローゼットの扉に手をかける音が聞こえて、西広は心臓が止まるのではないかというほどに縮み上がった。今ここを開けられては、自分がいることがばれてしまう。 その先に何が待ち受けるのか、恐ろしくて考えられず、必死に身を隠す方法を巡らせた。 「あー大丈夫だよ」 「え?」 「待ってる間に下着はコンビニで買った。一応、服も持ってきたよ」 「準備いいね……」 「いやだって、お前の服借りてったらまずいだろ」 「……ああ」 今のお互いの生活を知らないとはいえ、勘ぐる人間がいないとも限らない。それでも西広は、この緊迫した状況を少しでも回避出来たことにホッと胸をなでおろした。 「一緒でいいよな、時間なくなるし」 「うん、いーよー」 二人の足音が遠ざかって浴室の扉が閉まり、シャワーの流れる音が聞こえるのを確認すると、西広は物音を立てないようにクローゼットから抜け出した。目の前にはしわくちゃになったマットレスとシーツ、そして何に使うのか分からないがクッションが置いてあり、二人の情事を生々しく思い起こさせる。 一緒に入っているとはいえ、あの男の入浴時間は短い。 この場からばれずに抜け出すには今しかなく、西広は込みあがる嘔吐感に気づかないふりをして部屋の扉を開けた。 2013.4 |